pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

230402~の出来事

 

4/2(日)

◇鎮座する人
久しぶりに父親の顔を見る。退職して10日、暮らしぶりを聞いたら何もしていない様子。同じ場所に朝から晩まで座り続け、手にスマホ、TVはつけっぱなし、ときどき手元の漫画を読む、これでは脳が退化するのも時間の問題だ。

何かやりたいことはないのかと聞いたら、昭和の人間だから、という答えだった。同じ生まれでも趣味を満喫している人だっているのだから理由になっていないと思うのだが、仕事さえしていればいいと生きてきた人は、それがなくなったときどうすればいいのか本当にわからないのだろう。しかも、こういうヒマ人に限って家事を一切手伝わないのである。わが親ながらあきれるしかない。
 

4/3(月)

◇節電
屋外は暑いくらいの陽気でも、屋内はまだまだ肌寒い。例年であればエアコンをつけるところなのだが、電気料金を気にしているのか誰もスイッチを入れようとしない。少し前、このままでは風邪をひくと思いスイッチを入れる最初の一人になってみたものの、あとに続く者がいなかったため、私からは言いだしづらい。無言の節電に同調しない空気読めない輩と思われても困るし、明日からは厚着することにしよう。
 

4/4(火)

◇夢を見た
バイトの面接試験か、バイト自体かはあやふやだが、何かを組み立てる作業を行っていた。場面転換、講堂に従業員が一堂に会し、体育座りで演説が始まるのを待っていた。隣にいた先輩社員と話をしていたら、女性を振り分けてやろうか? と聞かれた。意味が分からずハテナとなっていたら、反対側の横にいた小西真奈美が「一人でポツンとならないよう、話しかける女性をつけようかってことだよ」と教えてくれた。女性同士の付き合いは苦手だし不要と断ったら、こにたんは「私と同じだ」と隣の男性に腕を絡ませ甘えはじめた。何となく違う気がする、そう思ったところで目が覚めた。

彼女が登場したのは寝る前にココリコミラクルタイプを見ていたからだとして、普段表に出さない人付き合いを避けたい気持ちが夢でいきなりあわられてくるなんて、何かの予兆か。対象が限定されていたところで、忘れたい記憶の中に女性が深く関わっていることを思い出した。それは、多くの人が大切にしているであろう友達について。一般的に同性同士に友情が芽生えやすい世の中だが、必然嫌な思い出も同性によるものが多くを占めることになる。

小学生当時、私は転校生という立場なこともあり、クラスの中心的女子の顔色をうかがいながら、みんなと足並みをそろえることに気を配っていた。バレンタインに友チョコを交換し合うと言われれば家族を巻き込んで大騒ぎし、駄菓子屋でお菓子を買って集まろうとなれば親に頼み込んで必要以上に買い込んだものだ。他人がどうであろうと関係ない、という今の私を知っている人は驚くかもしれない。私にもコミュニティの一員から外れないよう必死だった時代があるんですよ。

それにもかかわらず女王様の気まぐれに振り回され、結果仲間外れになることもあった。親が夏の林間学校を主催したから行こうと誘われ友達同士で申し込み、私だけ友達のいないグループに割り当てられ、呆然としたこともある。もっともこたえたのは集団下校の際、後ろを歩いていた友人たちが、私が嫌いだと言い合っている声を聞いたときだ。聞こえるように言ったのではなく、聞こえてもかまわないという体で言っていた。これは辛かった。面と向かって言われるより1000倍効く。自分でも当時は思慮の浅い愚かな子だったと思うし、嫌われるのも理解できるが、それでも心はあるからね。自分が嫌われているなんて親に言えないし、落ち込んでいることすら誰にも知られたくなかった。自分という存在を明確に否定された事実を受け入れがたかった私は何も聞かなかったと思い込み、忘れたフリをした。

女性は察する天才らしいが、それがよくない方向にまで働いてしまうから困る。仕事をするようになってからも、女性の多い職場では嫌われてしまうことがあった。私以外の同期同士で飲みに行った話を聞いたり、昨日まで普通に話していた人によそよそしさを感じたり、微妙な雰囲気の変化をすぐに察して落ち込んだ。自分が嫌いな人はみんなも嫌いになってほしい、そういう性質の人を怒らせたのだろう。

自分では普通にしているつもりでも、友達から嫌われてしまう。そういう人で身近に今の発言はよくない、と諭してくれる友人がいるなら、その人を一生大事にしたほうがいい。残念ながら私にはいなかったので、人生の軌跡のうち最も輝くであろう友達という宝物にトラウマが残ることになってしまった。「大人になればどうでもよくなる」という助言は的確なようで適当だ。

いろいろ積み重なり、あれこれ考えることにほとほと疲れ果て、私は悟った。他人との付き合いは有害でしかないと。今ではもう、他者との深い付き合いは避けるようにしている。職場では当たり障りのない事しか口に出さないし、1日言葉を発しないこともざらにある。まわりに苦手な人がいても気持ちを言葉にしなければ案外態度にも表れないから、口は禍の元って本当にそう。種をまかなければ芽は出ない。つまり私がされて悲しかったことは人にもしたくない、という善良な心持ちではなく、すべては自己のため。

この先もし友人を作るとしても、男性だけになるだろう。不思議なもので、性別が違うだけで自分とは同列にみなさないのか、年の上下関係なく本音で話せるし多少のことは許しあえるから、いっしょにいて疲れないのだ。そもそも女性の特性が面倒くさいと思う時点で、私の性分が女という生き物に向いていないのかもしれない。

夢の話から自分語りがずいぶん長くなってしまった。これって日記と言えるんかいな。でも、ここに書いたことはマジの黒歴史で、昔は思い出すたび自分の価値を見失い、眠れなくなることもあったのだ。こうして書けるということは、少しは自分を客観視できるようになったのかなあ。
 

4/5(水)

◇腸内ポリープの病理判定結果
退社後、腸内カメラの結果を聞きに内科医院へ向かう。土曜とはうってかわり待合室には誰一人おらず、すぐに診察室へ通された。見つかったポリープは腺腫という良性とガンの間にある状態で、年月が経つとガン化するらしい。

切除は別の病院となるため紹介状を発行してもらう。出血があった際にすぐ対応できるほうが安心として、総合病院をすすめられた。希望を聞かれたが素人が良し悪しなどわかるわけもなく、提案された病院でお願いした。簡単な現状説明のみで、お会計1070円。紹介状発行手数料が含まれているのなら致し方なしと思うが、あの簡単な説明だけでこの金額だとしたら、素直に受け入れがたい。せめて病理の結果くらい見せてほしい。

夕刻のラッシュ時間ということもあり、帰宅は19時をすぎた。夕食はレトルトのグリーンカレーですませる。目視できる肉はなく具は細長いタケノコが気持ち入っている程度だが、ココナッツの風味も感じられてちゃんとグリーンカレーしている。かなりおいしい。アマゾンなら10食で150円を切る安さ、いざというときの保存食として常備することにしよう。

 
ebook水曜日1巻プレゼント
あっさり当たった。くじ引きの体をとりつつ、よく買い物しているユーザーにエサとして与えているのが実情なんじゃない。
異世界おじさん 1 (MFC)
ある程度のサブカル知識があるとより楽しめる作品だった。ネタを見るに20代~30代向け、それ以上になると漫画のおじさん同様、ツンデレの概念やエヴァを知らない可能性がでてくる。エヴァ知らないのと驚くなかれ、私の職場で視聴済みなのは私だけだ。
 

4/6(木)

◇献立
今日はマジで何もなかった。そんな日は1日の献立を書いて埋めよう。
朝:オートミールパンケーキ、トマトジュース、バナナ
昼:弁当
夜:豆腐ステーキ、ニンジンのみそ炒め、ニンジンのラペ、ニンジンのツナマヨサラダ、ホウレン草のおひたし

つまり今週は大量のニンジンを消化している。形の悪い個体がまとめ売りで100円だったからと、食べないくせに買ってきた親から押し付けられたのだ。好きだからありがたいんだけど、何を作るか考えるのが一苦労。メニューも合わせて押し付けてほしい。
 

4/7(金)

ebook集英社50%OFF
自分でもマジで上客だと思う。

ジャンプ+で読んでいるし、どうしようかと迷ったけど買ってしまった「ダンダダン」。
 

4/8(土)

◇朝のウォーキング
毛布を1枚減らしたとたんに寒さが戻ってくるんだから。とにかく続けることが大事だ、少々厚めに着こみ家をでる。

雨が遠ざかったばかりの空、雲の隙間から見える光がRPGを連想させる。

写真をとっていたら、目の前を白い鳥が飛んで行った。早速エサを探しているのだろうか、大きさはカラスくらい、種類はてんでわからない。悠々と空を駆ける彼らは、今日1日生きることだけにすべてを費やす。自由でうらやましいと見るべきか、命がけの毎日を過酷とみるべきか。そういえば、鳥類は優れた視覚を持ち、人間が視認できない色だけでなく紫外線をも見ることができると聞いた。私が見れば白でしかない、あの飛んで行った鳥も、仲間同士では違う色が見えているのかもしれない。

昨日からの雨で桜はだいぶ散ってしまった。道路には花びらのじゅうたん、ただし雨でぐちゃぐちゃ。

実は桜より好きなのは、この花。名前は何というのだろう。

 
◇里心
2年ぶりくらいに近しい人と外で会った。新型コロナの関係で控えていたのだが、自粛ムードも薄れている中、さすがにもういいだろうという気になった。

あらためて振り返ると、恐ろしいほどストイックに生活していたと思う。家と職場の往復は自家用車だし、映画やショッピングモールといった人が集まる場所は避けるようにしていたし、外食ももちろんしていない。

だからといって、特段の不便を感じたことはない。TVの街頭インタビューでは出掛けられないことに不満を抱いている人が多くみられたが、自称「歩くひきこもり」の私にとっては自宅待機こそ日常である。自粛ムード全盛の生活でもいつもどおり、粛々と毎日を過ごしていた

そんな私だが、気を許した相手と過ごす時間は、人と語らう楽しさを忘れていた身に相当効いたようだ。家に帰り、音一つない部屋にぽつんと立てば、さみしさが内からこみあげて泣きたい気持ちになる。家族と離れ、一人で暮らすようになってからも孤独を感じたことなどなかったのに。里心がつくとは、こういう状態なのだろうか。

いま私を慰めてくれるのはキミしかいない。

チョコパイおいしいんだから。