pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

新生?「ヘルレイザー ジャッジメント」感想(映画)

あらすじ

十戒になぞらえた見立て殺人を繰り返す猟奇犯罪者・説教者(プレセプター)を追う刑事のショーンとデビッド兄弟は、本部から派遣されてきたクリスティーンと共に捜査を続けていた。被害者との共通点をさぐるうち、「ルドヴィコ・プレイス55」という住所に事件の手がかりがあることを突き止めたショーンは現場に単独で向かい、応援の到着を待たず家に踏み込む。刹那、気が遠くなり意識を失ったショーンが目覚めると手足を拘束された状態でイスに座らされており、目の前の机には旧式のタイプライターと顔に複数の傷を持つ男が座っていた。

ヘルレイザー - ジャッジメント
 
「リブート版」とは、特定の作品を原作とし新たに一から作り直したものである。例えば昔発売されたゲームを原作とし、新しい解釈やストーリーを加えて作り直したものが「リブート版」となる。(Weblio辞書)

簡単感想

シリーズ10作目ともなるとアイデアも頭打ちなのか、従来の設定にこだわることなく新解釈を取り入れ、キャラクターだけを継承したリブート版として製作された今作。ピンヘッドたちは罪人に刑罰を与える役割を担っており、彼らが苦痛による快楽を至上の喜びとしているのは同じであるが、罪人に共感を求めるようなことはしていない。モダンな雰囲気にこだわった映像はなかなかよかったので、むしろヘルレイザーを名乗らず単体作品としたほうが受け入れられたと思う。
 
見どころは猟奇殺人犯を追うサスペンスの幕間に行われる奇怪な異界審問。汚くなりがちなグロ&ゴアが幻想的な世界観で表現されており、おゲロシーンも耽美でアーティ。ヘルレイザーの代名詞である皮はぎサービスはあったものの、審問を取り仕切る立場であるピンヘッド以外のセノバイトが登場しなかったことは残念。
 
私の評価は★3.2。ヘルレイザーとしてではなく一般作品として及第点はとれていると思う。クリスティーン役のアレクサンドラ・ハリスは美しかったし、おしゃれで芸術点も高い。ヘルレイザーとして細けえことは気にならなかったが、物語に対する疑問点はあったので以下で内容にふれつつ考えをまとめていきたい。

 

元祖ヘルレイザーパラレルワールド

冒頭でルマルシャンの箱を古臭いだの時代遅れだの言い始め、過去のヘルレイザーを全否定することから始まった今作。言葉だけ見るとカチンとするわけだが、よくよく考えると彼らの言うことにも一理あって、ピンヘッドたちもデジタル普及のあおりを受けて変化せざるを得ない状況になってしまったのだと納得することができた。
 
要するに、パズルをしてまで快楽を求める人間がいなくなってしまったのだ。インターネットには無料のA動画コンテンツがあふれているし、通信販売を利用すればソロプレイ用のAグッズを容易に購入することができる。大体からして性欲自体の衰えが懸念されている昨今、パズルで頭を悩ませてまで快楽を満たそうとする人間がどれだけいるだろうか。
 
趣味と実益をかねて罪人にお仕置きを与えるのがピンヘッド様のお仕事であるにもかかわらず、異界の刑場は閑古鳥が鳴くばかり。さて困ったぞとなった彼らは、一念発起してルマルシャンの箱に変わる新しいシステムを試すことにした。まずは罪人から聞きとりを行い調書を作成。次に評価人が調書を確認し、陪審員に見解を伝えて有罪を確定する。その後、体を洗浄してもらってから外科医の元へ行き、解体人の手で究極の苦痛を味わわせたのち生まれ変わる。
 
むちゃくちゃ面倒くさくね? おそらくパズルボックスを一つずつ解いていくことは、これらの手順の代替行為だったのだろう。簡易な手段を放棄しなければならないほど、彼らの事情は切迫した段階まで極まりつつあるようだ。
 
彼らが罪人を裁くことになぜ躍起になっているのかについては、ピンヘッドと監査人との会話に「新世紀に突入し、信仰が失われている」とあったことから、神が関係していると思われる。審問の解釈を聖書に詳しい方にぜひ伺いたいところであるが、そのためにこの映画を見てくださいと言う勇気は当然ない。私の乏しい知識から思い浮かぶのは、罪に対して神は戒めても罰しないこと(人間はすでに罰を受けているから)と、聖書にある罪は神の教えに背くこと、くらい。
 
神は自身が罰することがないとはいえ人間が欲望のまま退廃していくのは快く思っていないから、人間界の刑罰を受けさせることで和解をはかってきた。とはいえ、中には重大な罪を犯していながら刑罰を受けず、悔い改めないまま生きている人間も一定数いる。そういう罪人を見つけ出し、形ばかりの審問にかけ神の赦しを与えるのがピンヘッドのお仕事なのかなと思った。「許す」と「赦す」の違いも大切で、前者はそうすることを認めること、後者は過失や失敗を責めないことを意味している。だから審問では有罪だろうが無罪だろうがどちらでもよくて、今後過失を責めることはない、というお墨付きを得られることが重要なんじゃないのカナ~。
 
 
・・・と考えた時代が私にもありました。最後のほうになると「お前の姦通罪などくだらん。兄が生み出した忌まわしい悪行を見習え」「青二才どもめ、だがお前の連れなら極限を味わわせてやってもいい」と審問と刑罰の意味がないような発言をなさるので、実際はピンヘッドのヘンタイ趣味につき合わされそうになった誰かが仕事を後付けしただけなのかもしれない。
 
雰囲気重視の異界審問に対し、現実の殺人事件はなかなか趣向が凝らされていて、単体のミステリ作品としてまとめてもおもしろいのではないかと感じた。「他の神を崇めるなかれ」になぞらえ、「この子は神」と言って飼い犬をかわいがっていた女性を殺害、子宮に犬を生きたまま埋め込んだり、「嘘をつくなかれ」になぞらえ被害者である両親の舌を切り落とし、ミキサーにかけ息子に食べさせたり、残虐性とインパクトは申し分ない。
 
それと大事なこと、家族の問題が物語の中核に据えられていたのにはほっとした。個人的にヘルレイザーの要素の一つは「家族」と思っているので、明らかに初代を意識したシナリオにはリブートとはいえシリーズの系譜を軽んじることなく考えられて作られた物語であることを感じとることができた。
 
またピンヘッド役のポール・T・テイラーさんに関してはダグを踏襲した役作りをされており、天使と互角に渡り合える存在としての威厳とカリスマ性に満ちたピンヘッドを堂々と演じておられた。前作「レベレーション」のように解釈違いで鈴木雅之の「違う、そうじゃない」が頭を駆け巡るようなこともなく、安心して事の成り行きを見守ることができたのは嬉しい誤算。もちろん本心から褒めている。ご本人が優しい笑顔のイケおじだから抱かれてえとか、そういう邪な思いでは決してない。そして、ダグに見劣りしないピンヘッドが誕生したことに喜んでいたのもつかの間、彼はエデンの園を追放されて人間に戻ってしまわれたとさ、OMG。
 
話のオチが何が何だかわからないかもしれないが、ありのまま画面で起こったことを話しているので興味を持たれた方はぜひご視聴いただきたい。セル化はされていないようなので、現時点では動画配信サービスを利用するしかない。アマプラにあるよ。