pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

ファンサ充実「ヘルレイザー:レベレーション」感想(映画)

あらすじ

ニコとスティーブンは、自由を求めて国境を超えてメキシコ〈ティファナ〉へ向かった。酒をあおりハメを外した2人は、バーで怪しい男に謎の箱を渡される。男が言うには、謎の箱は何やら絶頂をもたらすものらしい・・・。ニコが宿で謎の箱を解いた時、辺りは怪しい光に包まれ、暗がりの奥から禍々しいこの世のものとは思えない男たちが現れた・・・。(パッケージより)

ヘルレイザー:レベレーション [DVD]
 
シリーズ9作目。
 

簡単感想

私は本シリーズのセノバイトたちを「苦痛の先にある究極の快楽」を教義としている一種の宗教者と認識しており、異界の扉を開くルマルシャンの箱を快楽に溺れやすい人間、つまり教義に賛同しやすい人間に渡すのは信者を増やすための伝道活動と捉えている。
 
上記を鑑みたうえで本作を見ると、基本的な解釈から違うなと思える。ピンヘッドが単なる断罪者となっているのだ。まあフランチャイズ作品だし細けえことを言っても仕方ねえ、物語の内容を考慮すれば許容もできる。だがセノバイトの神性を損なう役作りをしたスティーヴンさん、てめえはダメだ。表情豊かに感情をこめておしゃべりするピンヘッドは違うと思うんだ。 
 
私の評価は★3。セノバイトはイマイチだったものの初代を踏襲しつつ家族間の暗部を描いた物語は悪くなかった。時間も75分と短めで、中だれる箇所もなく集中して見やすい。初代を知らなくても問題ないが「原点回帰」と触れ込みにあるように、知っていればより楽しめる。
 
それでは内容に触れながら、良かったところと悪かったところを述べていきたい。

 

新生ピンヘッドよ、どうしてそうなった

はじめに、ピンヘッドの何が悪かったかを述べていきたい。なお初代様は2作目であっけなく死亡しているため、今作はピンヘッドという職務を引き継いだ何代目かのピンヘッドとして解釈していく。合わせて私は1&2を繰り返し見ているものの、それ以降のナンバリングは紀元前に1回ずつ見たきりであることを申し添える。
 
さて、少子化が進む現代社会において後継者不足は深刻な問題であるが、どこの世界も後継ぎの育成には苦労していると見えて、今作のピンヘッドは随分と俗っぽく、快楽の伝道者としての自覚も薄いように感じた。
 
「お前を切り裂けば究極の快楽を味わえそうだ」「この人間どもはクズだ。快感を味わう資格なし」「奴に究極の苦痛を味わわせればお前だって報復を果たせたのに」「未曽有の恐怖を味わわせてやる」
 
ピンヘッドに転生してから日が浅いのか、快楽を与える側でありながら自ら味わおうとする発言に、アイデンティティの確立がまだ成されていない様子が見て取れる。またセノバイトが絶対に言わないであろう人間味にあふれたお言葉の数々から、初代様との職務の引継ぎがうまくいっていないこともうかがえるだろう。
 
以前ヘルレイザーの翻訳について語った記事中で、セノバイトたちは善意の使者であると述べたことがある。強硬な手段を用いてでも自らのドグマを皆さんに知ってもらいたい、それがセノバイトというヘンタイの押し売り集団だ。対象はあくまで快楽を求めパズルボックスを解いた人物であり、善人か悪人かは重要なところではない。つまり相手が目クソだろうが鼻クソだろうが快楽を味わう資格はあるし、与えるのは苦痛の先にある快楽であって恐怖を与えて喜ぶなどという子どもじみた感情はあってはならないのだ。今作のピンヘッドには初代様のマニュアルをもう一度読み直してもらい、セノバイトの心得ならびに受益者(一応快楽を与えられる側だからネ)への対応を一から学び直していただきたい。
 
タイトルのRevelations(啓示)とは、神または超越的な存在より、真理または通常では知りえない知識・認識が開示されることを言う(Weblio辞書)らしい。残念ながら、威厳を感じない今作のピンヘッドでは誇大広告すぎて詐欺としか思えなかった。ダグ・ブラッドレイから役を受け継いだスティーヴンさんが、自分なりのピンヘッドとしてオリジナリティを出そうと頑張られたことは理解する。だが彼が無機質な存在として認知されている従来のピンヘッド像でいてくれたなら、セリフがどうあれ「何となく強そう」という空気感で絶対者としての貫禄を保つことができていただろう。
 
本シリーズの要であるセノバイトは惜しいことになっていたが、1作目を踏襲した物語自体はファンサービスに溢れていて大いに好ましい内容だった。妻と夫の兄弟による情愛が悲劇の引き金だった1作目から家族の問題はより深刻度を増し、多感な時期に親の不倫を知り、傷つき歪んでしまった息子が地獄を招くという泥沼に拍車をかけた展開であった。
 
今作で最も喜ばしかったことは、ヘルレイザー伝統芸能が核心に迫る場面の重要な鍵となっていたことだ。家に帰ってきたスティーヴンが怪しい様子を見せ始めたとき、聡明なシリーズファンは誰もが気づいただろう、この子フランクしてるんじゃね? と。
 
親の不倫を子どもが知ってグレるだけならよくある話で、何ということはない。それをヘルレイザーとして成立させるためにスティーヴンの中身をニコにした脚本には拍手を送りたい。皮かむり、皮むきは1作目の仮性フランクに続き、2作目の真性ジュリアで作品の代名詞として確立されたように思う。皮を引っ張ることも好きだし、要するに皮に対するこだわりが強いのだヘルレイザー
 
お金持ちのお坊ちゃまであるニコとスティーヴンはイイ子でいることに苦痛を覚え、気晴らしの旅に出た。純粋にハメを外すことを楽しんでいるスティーヴンと違い、ニコは家から離れたい気持ちもあったのだと思う。そんな心の隙間を見透かされ、ルマルシャンの箱を手にしてしまったニコ。彼に巻き込まれたスティーヴンは、生皮をはがされ捨てられてしまった。のちにミニピンヘッドとして復活するわけだが、その制作の過程が儀式めいていてね、今作のピンヘッドが引継ぎした新任者じゃないのカナ~と思った理由の一つはここにある。
 
クライマックス、スティーヴンパパがニコを撃った場面のやり取りで、ニコの本当の父親はスティパパだったのかもしれないと思った。ニコは拷問により正気を失ってしまった、または異界を体験して人間性を損なってしまったとも考えられるが、たかが不倫で人を撃つほど逆上するというのは理解しがたい。実の父親がスティパパだったとして、それをニコが知っていたとするなら異常なまでの怒りも納得ができる。
 
ピンヘッドが言うとおり、そのまま異界送りにすれば最上級の復讐になっただろうに、スティパパは「お前を殺すのは俺だ」と言って撃ち殺してしまった。これも実子を殺したとはいえニコもまた息子なのだから楽にあの世へ行かせてやりたい、そんなパパ心と考えることもできるのだ。無理があるって? そっちのほうがエモいしいいやろがい。
 
 
いつも以上に長くなってしまったのでそろそろ締めることとする。最後に伝え忘れていた大事なことがありました。ぽろりあります。