pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

普通におもしろかった実写版ジョジョ

何がわるいん?

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章
さて、2017年の話を7年越しの2024年にするすっとこどっここいはどこのどいつだい。

あたしだよ、ってなわけで2024年辰年、おそらく当の本人よりも先にこのフレーズを使用した私であるが、タイトル通り、実写版ジョジョを今更ながら視聴した。なぜに当時見なかったのかと言えば観る気が起きなかったの一言に尽きるわけだが、アマプラで見放題ならご飯のお供につまんでもよかろう、と食指を伸ばした次第である。

見てはいなくても世間の声は気になるもので、公開当時どのような評価だったのかはざっくりと知っている。ただこのたび視聴して、何がそんなに気にくわないのか首をかしげることとなった。普通におもしろかったのである。岡田将生が王子様だったから言うのではない。悪い評価の大半がキャラのイメージ違いをあげていたので北海道-沖縄間かと思っていたら青森-東京間くらいで、言うほど離れてはいなかったのである。

もとより見た目が違うなどということは2次元と3次元なのだから承知の上で鑑賞せねばならず、どこまで近づけるのかは俳優の技量によるところである。各所で絶賛されたNHKドラマ「岸辺露伴は動かない」がそのいい例だ。

役者陣のキャラ作りに関しては露伴同様、原作から逸脱しているとは感じられず、言われているほどの違和感はなかった。みんなそれぞれ頑張っていたし、承太郎に関しては北村一輝コラ画像が一分のスキもないほどに完璧で、期待値が爆上がってしまった悲劇も考慮してあげてほしい。そもそもジョジョラーのご希望通り忠実に原作によせていくには劇画調の役者陣、つまり濃ゆい顔を集めなければならず、ジョジョテルマエ・ロマエとなってしまう恐れがある。それはそれで観たい気もするが、原作の雰囲気を残しつつ年齢相応の若さを感じられる仗助や億泰で、私は逆にすんなり入ってきた。現実として考えたときに、という話である。なお、奇妙な出来事を楽しむ岸辺露伴シリーズ(サスペンス)とスタンドバトルを楽しむジョジョ4部(アクション)で映像の作り方が異なるのは当たり前なので、そこは比べるところではない。

キャラクターへの違和感に対する意見ばかりということは、物語は何かを申すほどの欠点が見当たらなかったとも受け取れる。再度、評価を見直してみようと検索していたら下記記事を見つけた。やはり私の感覚は間違いではなかったようだ。
topics.smt.docomo.ne.jp

個性的な学ランをスタイリッシュに着こなす役者陣は、さながらハイセンスなパリジェンヌ。杜王町を異国情緒あふれる街並みにするなど、異能力バトルであるジョジョを子どもじみた映画としないため、世界観を壊さず実現することに三池監督も相当気を配られたのだろうと拝察申し上げる。

ただ、大問題と感じたのがスタンド能力のわかりづらさである。あれは超能力を視覚化した存在なので、承太郎の「悪霊のようなものだ」の説明は間違いである。確かに承太郎は最初スタンドを悪霊と解釈していたが、一般的な悪霊の概念からすると不適切であり、何も知らない人が聞いたら身の内から発現するものではなく「外部から憑りつくもの」と認識するだろう。あと、矢の説明がまったくない。矢に射抜かれたら異能力が目覚める、そのことは映像からわかるが、では矢に射抜かれていない仗助たちはなぜ悪霊がついて異能力が使えるのか、といった謎が生まれる。そこはパンフレットを買って読めという商売ならば仕方がないが、スタンドは物語の根幹を成すものだしオリジナル場面を挿入してでも丁寧に説明してもらいたかった。

まあそんなこんなも、今となっては兵どもが夢のあとである。第二章に繋がる山岸由花子や吉良の存在をにおわせておきながら、第一章で続編未定となってしまったようだ。確かに、この出来栄えで認めてもらえないなら手のつけようがない、と後に続く監督が出てこないのも仕方のない話である。

三池監督といえば、原作を大幅にブラッシュアップした「インプリント~ぼっけえ、きょうてえ」でアメリカ放送局を困らせたほど暴力描写に定評がある。イタリアンマフィアの残酷さが描かれている5部が実写化するようなことがあれば、これに懲りずぜひ手をあげてもらいたい。きっとすばらしくモダンで、バイオレンスあふれるクールなジョジョが出来上がるだろう。もちろん配役はヨーロッパ系でお願いする。

最後に、この映画が再評価されるにあたっては個人的に、7年たってジョジョの熱烈なファンが離れると共に、さほどこだわりなくフラットな目線で映画を楽しめるライトなファン層が増えてきたのではないかと思っている。かつてのジョジョにシビれてあこがれた者ほど、今は冷静な角度から判断できるくらいのファンに落ち着いているのではないだろうか。そう、私のように。