pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

20231217~の出来事

12/17(日)

今週分のとりあえず作り置き


大根と小松菜の煮物。練り物のかわりに鳥肉をいれたが、やっぱり味に深みがでない。人参のラペとカリフラワーのオーロラソース炒め。いつぞやから食べてみたかったカリフラワーライスと肉みそも保存用に作成。

ご飯のお供ならシンプルな肉味噌で十分。甘党の私は砂糖小2だと足りない。辛みをプラスして大人向けにするなら小2でいいかも。
ご飯のお供に 簡単肉味噌 作り方・レシピ | クラシル

ナスの煮びたしレンチン仕込みはyoutubeで見たレシピ。簡単でうまい。
www.youtube.com
 

今年初の積雪か

スマホの天気予報アプリが繰り返し降雪注意を知らせてくる。窓の外を見ると牡丹雪が舞い、隣家の屋根がうっすらと白くなり始めていた。暖冬とはいえ降らないとは一言も言っていない。やっぱりこの時期か、という思いと、いよいよ始まったか、という絶望に気分が暗くなる。こういうときスキー場と関係ない平地に住む大人たちは、星に願いを込める。これ以上降らないでください、降らせるのはスキー場だけにしてください、どうしても降らせるというのであればせめて凍らせないでください。
 

12/18(月)

積もらなかった\(^o^)/

正確には溶けて無くなっていた。暖冬の仕事が早くて助かる。
 

成瀬は天下を取りにいく

話題本の1話試し読みが公開されていた。少し変わった少女・成瀬と彼女を見守る友人・島崎が成し遂げたひと夏の出来事が描かれていて、わたしがタイトルと表紙から得た印象とは違う、まっとう(?)な青春小説だった。この1話を読まなかったら、一生手を伸ばさなかったと思う。
www.shinchosha.co.jp
 

12/19(火)

電気料金

12月初旬まで暖く、エアコンを使わない日もあったせいか3,723円に抑えられていた。これから3月まで家にいる時間ほぼエアコンつけっぱなしと考えると、毎月10,000円の出費を覚悟しなければならない。

そうなると出てくるのが光熱費の節約テクニックなのだが、あいにく私はケチる選択肢をなしとしているので、日ごろ心掛けるのは付けたら消す程度のものだ。ガマン大会の末ぶっ倒れあの世に行くなんてことになったら死んでも死に切れない。私はハンターハンターとバスタードとガラスの仮面の最終回を見届けてからあの世へ行くと決めているのだ。おそらく、いや絶対に100年で足りないだろうし、むしろ作者のほうが先にあの世を見そうだし、そうなったときに某三浦システムが発動する可能性はゼロだろうし、見届けられない確率99.999・・・%なのだが人生に希望は必要なのだ。
 

12/20(水)

マツキヨでビヒタスが売り切れ

いつも在庫少ないんだから、もうちょっと多く仕入れてもいいんじゃない。
 

予約した

なんて瑞々しいんだ。これが令和の60歳像なのか汗
60歳すぎたら捨てて心が軽くなる100のこと (TJMOOK)

まだまだ先とはいえ、こういう話には興味津々。年を重ねるにつれ時間が過ぎるのは早くなっていくだろうし、今から捨てグセを身につけておくのもいいと思うのだ。

アマゾンで2021年度版を試し読みしていたら、「夫を変えようとするのはあきらめろ」という言葉が目に留まった。すごくよくわかります。定年後、座イスに根をはやしている夫にイラつきすぎてハゲができた母に捧げたい。

他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる@エリック・バーン
 

12/21(木)

いよいよ冬が本気出してきた

天気予報は1日雪マーク。少し早めに家を出ると、雪が本気の降り方をしていた。車の雪下ろしをしている最中も、さしている傘にどんどん雪が積もっていく。

目の前を、雪だ雪だと子どもが大きな声で連呼しながら通り過ぎて行った。手をつなぐ親はそれに答えることなく無言で歩いていた。私も子どもの頃は雪が降ったあとの世界を楽しんでいたはずなのに、いつからかため息ばかり出るようになってしまった。遊びのバリエーションが増える子どもと違い、余計な仕事が増えるだけの大人は、とてもじゃないが明るい気分になどなれない。犬ですらコタツに引きこもる時代である。令和のいま、積雪を喜ぶのは子どもとスキー場だけなのだ。

あ、すまん、観光客と関東勢も喜んでたわ。遠慮のない降雪に万歳三唱しているスキー場の映像に、笑顔で雪サイコーて言うてるパリピたちがいたわ。雪かきでめちゃくそ疲弊している地元民としてはドス黒い感情がみなぎってくるのを抑えられないわけだが、平地でホワイトアウトしている北海道の様子を見たら、そんな気持ちも消え失せた。豪雪地域は道路に消雪パイプがあったり流雪溝があったりして雪が捨てられる分、たまる一方のmy地域よりマシじゃねーかと思っていてすみません。それぐらいの特典がないと住んでいられないのがよくわかりました。

定年したあとであれば、雪が降っても心穏やかにいられるのだろうか。雪が降り積もる光景は眺めていると時間を忘れるほどに幻想的で美しいのに、それを心から楽しめないのはもったいないと思うのだ。
 

夕飯はやきそばと肉まん

帰りにドラッグストアに寄ったらヤキソバを山ほどカゴに入れている人がいて、何事かと思ったら半額だった。つられて私も買ってしまった。

お供は金持ちの親戚からもらった聘珍樓(へいちんろう)の海鮮肉まん。「解凍してから温めてください」と書いてあるのを無視して冷凍したままレンジにかけたら、はじっこがドロドロに溶けて白いスライムになった。

ネットの海鮮肉まん画像に使われている二つ割の絵を見ると、海鮮を象徴する存在として中央にエビ様が鎮座している。中ほどまで食べ進めたところで、その1つ目のエビ様を確保することに成功した。画像とほぼ相違のない厚みがあり、おれは今エビを食べているぞ、という確実な手ごたえがある。さすが具材の大きさを売りにしているだけのことはあるな、と次なるエビ様を求めて食べ進んだが、この度の実食では2つ目の存在を確認することはできなかった。ふがいない報告で恐縮だが、加えて貝柱や蟹といった他の海産風味も、肉の味が強すぎて認識することができなかった。つまり1つ目のエビ様が海鮮らしさの全てであり、味は普通の肉まんだった。

・・・書き慣れていないことがまるわかりの説明くさい食レポになってしまった。四の五の言っているが、タケノコのサクサクとした食感が楽しめたり、皮が肉厚で満足感が大きかったりするところに高級さが感じられ、安価な肉まんとはやはり違う。贅沢を思い切り堪能したいときは、「今日食べるのは2個138円のヤマザキ肉まんじゃない、1個600円の特別な肉まんなんだぞ」というマインドコントロールを多少なりとも行うことが大切なのだろう。何を言っているのかわからなくなってきたが、もちろんおいしいくいただいているので、エビが気になる人は注文してみてほしい。

ところでだな、冷凍庫がいつも満杯で整理整頓がまったくできない。このたびの肉まんも本当は自分へのご褒美として大切に食べたかったのに、空き容量を増やすために仕方なく取り出したのだ。一人暮らしなら150Lで十分と書いている記事は自炊派は別と注記を入れるべきだと思う。ただ、買うときに比べてみたけれども、200Lくらいまでは冷凍庫の容量に大きな差はない。業スーで大量買い、余った分は冷凍するのがスタンダードになっている今の時代にあわせた冷蔵・冷凍スペース比率のデザインがあってもいいやろがい、と思ったり思ったり。
 

12/22(金)

雪の降る街を

道なき道を、歩いて出勤。雪国の人には共感してもらえる景色。

これでも県全体で見れば少ないほう。

 

12/23(土)

「来る」視聴

来る
プライムビデオのトップに表示されていた映画。事前情報何もなく観て、終わってから出演者が豪華だったことを知る。この人岡田准一ぽいなーと思っていたら岡田だったし、松たか子ぽいなーと思っていたら彼女だった。原作は澤村伊智の「ぼきわんが、来る」。演技派の俳優陣が多く出演しているのも納得の、もう一度見たいと思える作りこまれた内容だった。

タイトルにある「ぼぎわん」というのは地方で畏怖の対象となっているオバケの名称で、正体は謎に包まれている。幼少期にそのオバケと接点を持ってしまった主人公が大人になり、幸せの絶頂にいるタイミングでオバケが迎えに来てすったもんだするというのが大きな流れ。

この映画のジャンルを世間がどう認知しているのかわからないが、謎の怪異に脅かされる怪奇ホラーとしか思われていないのなら、私は宣伝部長を係長に降格したい。確かにぼきわんは来た。だけど、ぼぎわんが何かなんてことはどうでもよくて、恐れるべきは登場人物たちが抱えている闇であり、楽しむべきはドロドロとした人間模様なのではないか。誰しもが持つ悪の部分とか、目をそらし続けてきた心の暗部とか、人間の弱みに沁み込むがごとく、ぼぎわんはやって来る。示された出来事から登場人物の心情に共感できないと、ぼぎわんて結局何だったの、もやもやする、というオカルト面の感想しか出てこないと思う。多少の推測する力が必要と言うべきか、見方によって評価が変わる映画だった。

物語は3部構成になっていて、夫視点のときは謎の怪異による異変と家族生活の表面、妻視点で家族の裏面、ライター視点ですべての答え合わせと怪異との対決が描かれている。とにかく話が進むにつれ登場人物たちの印象が変化していき、どんどん話にのめり込んでいく。これから見る人は序盤、明るくてたくさんの仲間に囲まれて、子ども思いの満点パパしているブッキー(妻夫木・夫役)の過ちを探してみよう。無自覚な悪ほど罪深いものはないのだ。

ブッキーを見ていると父を思い出して、とても嫌な気分になる。金を稼いでくるのが男の仕事、それ以外は女の仕事、という昭和のお手本みたいな父親だから、人間を育てることや家族は協力する間柄であることが理解できない人だった。

それ以外は女って、分担の比率が明らかにおかしいのでぜひ小学校から算数を勉強し直してきてほしいのだが、このだっちもないこだわりは廊下をふさぐように飼い犬のウンコが散らばっていたときにも発揮された。なぜに片付けないのだと問い詰めたら、それは男の仕事ではないと言い切ったのだ。片付けないと人間用トイレまでの廊下が通行しにくいレベルにまでまき散らかされているのに、かたくなに拒否をする意味がわからない。こんなところでミッションインポッシブルするくらいなら片付けたほうが尿意の近いお年頃になった父にとってもwinwinだと思うのだが、片付けるくらいならペットボトルで用を足す、と言いかねないのだ、あの人は。もちろん散歩も男の仕事ではないので連れて行かないし、体に悪いから食べさせるなと言うのに人間の食べ物を際限なく与える。可愛がることしかしない人間、まんま今作のブッキーだ。つまりブッキーは私のパパなのだ、顔以外。まったく嬉しくない。監督さんは自己中心的だけでは包括できないやっかいな性質の人物像をよく心得ていらっしゃる。

閑話休題、闇の人間ドラマだけではなく、オカルトとしてもよかったと私は思う。もっともぞくぞくしたのは、電話で話をしている相手が松さん(鬼つよ霊能力者)ではなくぼぎわんだとわかったとき。ブッキーの絶望が伝わってきて、空気が一気に冷たくなった。単に驚かせるだけではなく、人をだますようなずる賢さも持った怪異なんだ、ぼぎわんは。最終的に霊能力バトルになって怖さは和らいでしまったが、まあ松さんのおかげで夜、トイレに一人で行けなくなる子が劇的に減ったと考えればいんじゃね。

ぼぎわんがどういう存在であるか、何となくはわかった。正解は(気持ちが冷めなければ)原作を読んで見つけるつもり。ホラージャンルと言うと必然、最近視聴した「禁じられた遊び」と比較してしまうわけだが、これは原作が勝負にならないのだから、比べてしまって申し訳ない。オカルト面だけ見ればいい勝負していると思うよ。