pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

風呂場で転んだ話

風呂場ですっころぶ

身体を毎日石鹸で洗うのはよろしくないと聞いてから全身のこすりを2、3日に1回に制限している私だが、たまにしかこすらない油断で新年早々転倒した。石鹸の量がいつもより多いことを考えず、流しきらないまま立ち上がってしまったのだ。若いころであれば反射的に体が動き、とっさに体を支えることもできたのだろうが、現実は残酷である。あっという間に足を滑らせ、危機の際よくあるスローモーションで時が流れる余裕もなく、おしりからダイレクトに着地した。

滑ったフォームについてはイラストやで恐縮だが、こんな感じ。

元々プラスチックの滑りやすい床材に石鹸が触媒となって、見事に足をすくわれた。ドスン、と思い切りよく尻もちを着いたにもかかわらずケガ一つせずに済んだのは不幸中の幸い。これも肉厚なお尻のおかげだろうか。まったく嬉しくないのが辛い。

全身を洗う回数を減らしたのは、深刻な肌の乾燥ゆえだ。タモリ式入浴法であれば窪塚洋介のように20年間石鹸を使わなくても通りすがるたびシトラスの香りをふりまけるのだろうが、私の場合は熱めのシャワーで流すだけなので、さすがに未こすりというわけにはいかない。他人にどう思われようとかまわない質であっても、職場内でテロリスト扱いされ肩身が狭い思いをするのはごめんなのだ。そこで折衷案として、あまり汗をかかない箇所のみこすりを数日1回に制限することにした。これがなかなか功を奏しており、毎日行っていた保湿クリームを全身に塗る作業から解放された。

身体を洗わないと臭くなるのは分かるにしても、加齢に伴い体の臭いが強くなるのは何度考えても納得がいかない。干からびていくわけだから逆になりそうなものなのに、これでは発酵食品ではないか。宇宙規模で見て地球だから臭いのであって異惑星であればいい匂いになる可能性もあるが、だからといって前澤さんでもない限り「そうだ、火星に行こう」とはならない。頭のいい人たちにはAI研究より先に年を重ねるに伴い身の内からバラの香りがするようになる研究を進めてほしかった。成功を収めていたらお父さんの華麗臭に悩まされている5000000000(推定)のご家庭を幸せにすることができただろうに、人類は進化の過程を間違えた。

一口に臭いと言っても人間とは調子のいいもので、「相手による」という大原則がある。好意を持っている相手であれば不思議とフィルターがかかり、ある程度の異臭は気にならないものである。その原則をお父さんに当てはめると悲しくなってしまうので割愛するが、愛犬が数日フロに入っていない飼い主の頭の臭いを熱心に嗅ぐように、動物的な何かに訴えかける原始的な何かがあることも事実だろう。

華麗臭とは異なるが、私は好意を持っている相手のワキの臭いは不思議と確認したくなり、会うたび嗅いでしまう。臭くても何回も嗅いでしまう。逆に臭いと安心するまである。でも四六時中臭いのは色っぽくないからノーセンキューという、誠にわがままで申し訳ない。パンツ一丁の女がいても全然萌えないけれどスカートからパンツが見えそうであれば全身全霊をかけて見届けるという諸兄には、この気持ちを理解してもらえると思う。

体臭番付で言うと、ワキが横綱であれば大関は足の裏が名乗りをあげるだろう。こちらの臭いについては相手が窪塚であろうと許すことはできない。身体が拒否のアラームを発し、えずきが止まらなくなるのだ。ずっとこたつに入っていた足の臭いをかいで、「ぐわっ」という断末魔とともに涙が止まらなくなったあの日を私は忘れない。

いい加減転んだ話に戻るが、真面目に一番目方のある尻から垂直に落ちて、頭を打たなくてよかったなと思っている。加齢が加速し、また転ぶようなことになったら次は救急車送りになるかもしれぬ。