12/24(日)
今週分のとりあえず作り置き
コールスローサラダ、人参とインゲンのグラッセ、ケチャップとニンニクなしのヤンニョム風ジャガイモ。煮物とゴボウのきんぴらは貰い物。基本好きなものしか作りませんから、自分が選ばない食材のおかずをもらって栄養のバランスをとる仕組み。
コールスローはこれの、ハムなしニンジン入り。キャベツは塩小1/2で水抜きした。ビニール袋に入れたのち角をハサミで切って絞る方法にしたら、カチカチのキャベツボールになるほどぎゃんぎゃん水が出た。
カット野菜で!ズボラコールスロー 作り方・レシピ | クラシル
クリスマスイブだった
罪悪感なくケーキを食べることのできる貴重な1日が過ぎてしまった。
12/25(月)
クリスマスだった
上司からケーキの差し入れがあると期待値爆上げで待機していたが、素通りで帰っていった。やはり他人に期待すると絶望しか残らない。
12/26(火)
「裏閻魔」読了
1巻だけ読んで置いていた裏閻魔。数年ぶりに思い出して2巻、3巻を読む。キャラ文芸のわりに派手さがなくて読みやすい。
「ゴールデン・エレファント賞」をご存じない方に説明すると(私も知らなかった)、2009年に創設された日本・アメリカ合衆国・中国・韓国の出版社が共催する公募の文学賞。最終選考委員に小説家は一人もおらず、翻訳とメディアミックスを前提として募集されていることから、エンターテイメント性を重視した文学賞であることがうかがえる。その第一回大賞作が、この「裏閻魔」。2010年代から急速に普及しはじめたライト文芸のはしりとも言える作品である。不死という非現実的なテーマながらアニメ・漫画からの影響を感じさせない、とても落ち着いた筆致で描かれている。ときおりあるはっとするほど耽美な表現はむしろ文学的。
3巻は恋愛色が強くて飛ばし飛ばししたものの、おおむね満足の読後感。閻魔と夜叉のブラザーフッドが現代まで続いているかと思うと妄想がはかどる。
12/27(水)
乳がたれるんです
今日買ってきた牛乳。横にして冷蔵庫に入れていたら、中身が漏れていた。当然未開封。
何もないとは思うがぶっそうな事件もあることだし、交換してもらうことにした。店に対して怒りはない。横にして搬入しない限り、こんなの誰もわからない。
12/28(木)
少し買い物
プレセールのうちに買い物を済ませてきた。穴の開いたニットの補充でユニクロと、寝間着のスエットを新調しに、しまむらへ。皆さま本セール待ちなのか、どこに行ってもすいていた。
最近シャツはスタンドカラーを好むようになった。よく言えば地味な風貌をしている私がシンプルニットと普通襟の白シャツを組み合わせると、カジュアルな周囲の中で一人だけ堅苦しすぎて、何だか恥ずかしくなってきたのだ。髪色がピンクとかメッシュ入りとか、他のところに何かしらのアクセントがあれば逆にバランスがとれてかっこいいと思うのだが、仕事柄できそうもない。老後の野望に「メッシュを入れる」という項目を追加しておこう。
帰りにイエローハットでガラコを買って、洗車後に塗ってみた。どれほどの効果があるのか、雨の日が待ち遠しい。
【後日譚】ガラコの効果は素晴らしかった。ワイパーいらず。
発送が12月下旬→1月中旬に変更
配送遅延の連絡が来て、12/28発送の予定が製造の手違いで1月中旬になってしまった。お正月に着たいと思って買ったのに、もはやいつでもよくなってしまった。
12/29(金)
12/30(土)
月末お得サタデー
ebookで毎月恒例のやつ。
それと、単独で買った「龍とカメレオン」。
各所でおもしろいと言われている評判は本当だった。内容は、病的なほど漫画に心血を注いでいる人気漫画家と天才的な模写技術を持つ新人漫画家が事故で体が入れ替わったことから始まる下克上で、トップランカーの自分を超えるというわかりやすい目標に向かってバチバチにやり合うというもの。今どきクールなZ世代の主人公が多いせいか、ピンチすら楽しむ暑苦しい主人公を見るのは久しぶりで新鮮。おばちゃんくらいになるとプラス思考しかない少年の熱血ぶりは胃もたれして受け付けないこともあるのだけど、この作品は不思議と大丈夫だった。
「悲しみのイレーヌ」読了
眠る前1時間だけ、と読み始め、結局徹夜で読了。カミーユ、ルイといった猟奇殺人犯を追う面々に親近感がわいたころ、読者をも巻き込んだ犯罪の仕掛けが明らかとなり「うそでしょう」と思わず声がでた。私が見てきたことは真実なのか、嘘なのか、それすら確認する間もなく物語は加速度を増し、悲しみのイレーヌへとつながった。もちろん、続編のアレックスをすぐ手に取った。カミーユをこのまま放っておけないという謎の使命感が生まれるほど、彼に沼ってしまったようだ。ルメートルを熱く推す小島秀夫監督を信じてよかった。翻訳ものへの苦手意識も払しょくされた。
明日は最後の燃えるゴミの日
今年最後の処分品。昔は本当に着道楽で、かわいいと思ったらどれだけ高い服であろうが買わずにはいられない性分だった。他の人に買われる前に何としても手に入れなければ、という強迫観念にも似た衝動に動かされ、借金まではいかずとも1か月の給料をまるまる服飾に使い込むくらいにはおかしい状態だった。
数年前に死んだ犬が私の物欲を手土産に虹の橋を渡ってくれたおかげで、今では高かったという未練だけで保管していた服も、迷うことなくゴミに出すことができている。今でも変わることなく服を買い続けていたら、そんなことは想像もしたくない。私を変えてくれたあの子には心から感謝している。あの子は生きていたことから最後まで、気遣い屋さんのできた犬だった。最後くらいもっとわがままにしてもいいのに・・・だめだ思い出すと涙がでてくるからやめよう。
12/31(日)
ゆく年、くる年
実家からお誘いを受け、風呂に入りに行く。アパートにも湯舟はあるのだが、湯をはるのが面倒くさくていつもシャワーのみで済ませているのだ。実家にいたころ毎日湯船につかっていたのを親は覚えていて、ありがたくも声をかけてくれたのだろう。
湯船につかり、この1年何があったのかを思い出そうとした。何も思い出せない。例年通りの平凡な1年であったということか。世界規模で見ればそれが最も素晴らしいことであるのは間違いないのだが、そんな実感を持てない私は時間を無駄にしたような気がして微妙な気持ちになった。
正月料理をお土産に持たされ、アパートへ帰宅。いいことを一つだけ思い出した、今年からお年玉の用意をしなくてよくなったのだった。毎年3万円の出費がゼロになる嬉しさに、エアで小躍りする。
特段、何をするでもなく1年が終わる。きっと来年の年末も同じように過ごしているのだろう。それこそが幸せなのだ。
今年も一年お世話になりました。