pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

230416~の出来事

4/16(日)

◇今日の夕飯
お好み焼き、味噌汁、キャベツのサラダ、切り干し大根
 

4/17(月)

◇アリス図書
秘密の図書館があると聞いて、連れられて行った。上下左右を岩に囲まれた奥に、身をかがめてようやく入れるくらいの小さな扉がひっそりとあった。中に入ると、広さ6畳程度の応接間につながった。温かみのあるランプの明かり、壁は鏡と本棚で構成されていて、中央にアンティーク調の長ソファと机が置いてある。モダンかと思いきや、部屋の奥には40インチほどのTVもちゃっかり置いてあった。管理者のホビット族に、ここは「アリス図書」だと教わる。

誰にも知られてはならない場所だ、つけられていないかとしきりに問われるそばから、チンピラが数人乱入してくる。詳細は忘れたが、何かしらの犯罪に手を貸すよう脅された。断ったら漁船に乗せられるのだろうかとか、風俗に売られるのだろうかとか、自分の行く末をいろいろ考えつつ断固として拒否を続けていたら目が覚めた。

現実の私はヘタレだが、夢の中では意外と胆力があった。
 

4/18(火)

◇総合病院を受診◇
今日は紹介状を発行してもらった大腸ポリープにかかる通院である。

十数年ぶりに総合病院に足を踏み入れたが、あまりの変貌ぶりに驚いた。すべてが分業、すべてがオートメーション化されているではないか。受付、インフォメーション、予約センター、支払いは掲示板に番号が出たら精算機で手続き、いやはやAI失業も遠い未来の話ではないな。私はもう余生のほうが近い人間だし、何なら介護方面でのAI発展を大いに期待しているくらいだが、若者世代には何とか生き延びてくれとしか言いようがない。

順番待ちの番号を見たら30人近く待っている人がいて、帰れるのはいつになるのだろうかと思った矢先、呼び出された。そうか、すべての人が予約しているわけではないから優先的に受信できるのか。ポリープがあるのはわかっているので、簡単な説明だけで受診は終了。

採血室に移動し、血液検査。担当された方は年配で、ベテランぽい雰囲気。だが、なかなかポイントが見つけられず首を傾げたり腕をさすったり、かなり迷っていた。自分ではわからないが私の血管は相当細いようで、入院したときも3日目には針を刺せる場所がなくなり、看護師さんを困らせた。こういうのを見ると、いつでも一発で秘孔を突いてくる健康診断センターの人がすさまじい経験値を持っていることがわかる。結局、探してもわからないから存在しているであろう一般的なポイントめがけて針を入れていた(ように見えた)。

その後、予約センターで話を聞いたものの、大腸カメラを受ける段階のことしか説明をしてくれなかった。ポリープがあったら切除する、と言われたので、あるのは分かっていることを伝えると、詳しいことは当日看護師に聞いてくれと言われた。切除後の食事のこととか、車に乗るなていうから送迎頼むことになるし、どれくらい時間がかかるのかも今知りたいのだが。目の前の事務員にゴネついても意味ないなとあきらめ帰宅。

午後からは時間が空いたので友人と会い、ちょっぴり豪華な寿司を食べた。ネタも厚くて食べ応えがあり、5皿でおなかがいっぱいになってしまった。100円寿司のネタって、小さかったんだな。
 

4/19(水)

◇人生初の救急搬送を体験する
夜8:30、普段なら一瞬だけのめまいがおさまらず、布団に横になる。目をつむっても暗闇がぐらぐらし、目を開ければ天地がひっくり返っている。胸やけ、吐き気がこらえきれず数度もどし、ついでに下からも出す。今まで一度もなかったポリープによる出血が視認できた。

座っているとき急に起こっためまいと吐き気。夕飯の何かに当たってしまったか、と考えるも食べたものは親子丼と冷凍していた魚である。栄養は大切だと言い聞かせ嫌いなタマネギを無理して食べた結果がこれか、などど思いながらもいよいよ立ち上がれなくなったところで実家に連絡し、姉が救急要請をする。

しばらくして119から入電、チェーンをはずしておくように言われ、ちどり足で玄関へと向かう。めまいにあわせ、やまない耳鳴り。

隊員4名5分ほどで到着。一人に対して4名もくるんかい、こういうことがあるから日ごろから部屋を片付けておくのは大切なんだな。血圧と血中酸素濃度測定、あとはコロナの接触やワクチン接種回数を聞かれた。未接種で受け入れてくれないことはないだろうが、病院それぞれポリシーもあるだろうし、とりあえず受けておいてよかった。

救急車はけっこうな揺れだった。自分で運転しているときは感じない段差も、横になっていると接地面積が広いからか大きな振動が体に響き、吐きそうになる。搬送先は脳のMRIがとれる病院だ。隊員さんが姉の携帯に電話をしているのだが出ない、としきりに言う。もう私が母に電話しましょうかと言ったが、何度もかけなおし出ない、出ない、おかしいと首をかしげていた。

病院に到着、皆さんが見守る中、吐き戻す。なぜにそんなに見つめるの、恥ずかしいと思うくらい見守られた。吐しゃ物がノドに詰まることもあるから注意しているのでは、という意見を聞いてなるほどなと思った。吐き気止めの点滴とMRI検査、脳に異常なし。当直の医者はぶっきらぼうで、さしたる説明もなく、こんなことぐらいで来るんじゃねえと言わんばかりのおざなりな態度だった。くぬやろ~と拳を振り上げなかったのはそんな元気もなかったと言えばそうなのだが、看護師さんがとても優しくて親切だったのだ。何も言わない医者にかわり、いろいろ教えてくれた。めまいの多くは耳が原因であること、症状がおさまってから耳鼻科に行っても何もせず返されてしまうかもしれないこと、同じような状況になったらまた来てもらうしかないこと、ああこれ絶望しかないってことね。

さて、救急隊員さんが姉に電話をかけてつながらないと言っていた件だが、病院到着後、いいかげん諦めて母にかけてください、と私の電話を渡したところ、理由が判明した。彼は姉ではなく私の電話に一生懸命連絡していたのだ。まさかのドジっ子属性か。

その後は連絡を受け迎えに来た家族により強制連行され、実家に着いたのは12時。部屋にはいるなり力尽き、朝まで気絶する。
 

4/20(木)

◇耳鼻科を受診
大事な会議があるのは承知していたが、私がいてもいなくても支障がないことは分かりきっているので休むことにした。まあ上司に電話しても興味なさそうだったしいいでしょ。

完全予約制の近隣の医者へ朝一で電話をする。めまいの原因が耳にあると聞いて私としては意外だったのだが、業界では当たり前のようですんなり話が通じた。

医者からいろいろ説明をうけたものの、耳のことなど素人中の素人である、話の半分も理解できなかった。とりあえず耳が原因だが中の石が動いてなるものでも、自律神経が原因のものでもないことはわかった。その後数種類の検査を受け、やや片側に傾いている傾向が見られるものの、鼓膜に異常はなく数値も正常の範囲内だった。めまいは症状が強く出ているときでないと特定が難しいとのことで、はっきりとした原因はやっぱりわからなかった。

医者はさ、これまで同じような症状の人をたくさん見てきて、検査をしても意味がないことはわかっていたと思う。でも、ただ不明と言われるよりちゃんと検査をしてもらってから不明と言われたほうが当人としては納得できるし、丁寧に見てくれたという満足感もある。患者の扱いがうまい、ではなく患者に寄り添ってくれるいい先生だと思った。

内耳の血流をよくする薬と急なめまいが起きたとき用の薬を処方され、経過観察で終了。とりあえず、めまい止めの薬をもらえたことで安心する。引き続き実家に強制連行され、だらだらとすごす。夜、まだ本調子じゃないのか食欲不振。おいしいつくねを食べきれなかった無念が残る。
 

4/21(金)

朝、父に送ってもらい出社。ときどき目がまわるものの、数日前のような不安感はない。病は気からとはよくいったもので、処方薬はめまいだけでなく精神安定剤としても機能しているようだ。

夕方、父が迎えに来てまたまた実家へ連行。夕食前に風呂に入って来いとすすめられ、バブを持たされる。一人暮らしになってからシャワーしかしていないのだろうからと、お湯をためてくれていた。1年ぶりに肩まで湯につかる、気持ちがいい。

夕飯はチクワの入ったカレーだった。ぱっと見ジャガイモとチクワの区別がつかないのは認めるし、家族の中にチクワを食べられない人がいるのも承知しているが、私の皿はやけにチクワだらけでジャガイモが一つも入っていなかった。ともあれ、おいしいカレーであることに違いはなく、あっという間に食べてしまった。しかし、いつも通りに戻った食欲としては物足りなさを感じる量だった。年寄りは食が細いのだ。何もしなくていいのは楽だが、このままここにいたら飢え死にしてしまうかもしれない。
 

4/22(土)

早朝4:30ころから夫婦でやんややんやと言い合っている。年寄りの活動開始は早いのだ。

朝食パン1枚とバナナ、昼ウドンのみ、間食にリンゴを食べて飢えをしのぎ、数日ぶりに家に帰る。部屋はガランとして物音一つない。だが、依然友人と離れたとき感じたさみしさはこみあげてこなかった。おみやげでもたされたカレーを食べる。今日はジャガイモが入っていた。さんざん昼寝をしたにもかかわらず、10時には眠くなり布団に入る。この一週間、怒涛だった。