pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

ブラック企業・極「サラリーマン・バトル・ロワイアル」感想(映画)

あらすじ

ある朝、80名の社員たちが出社すると「8時間後に皆死ぬ。30分以内に2人を殺せば生き残る確率があがる。」とビル内にアナウンスが流れる。その直後、すべての窓が閉鎖され、状況を把握しようとする彼らにタイムリミットが迫っていた・・・。(パッケージより)

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はじめてAIタイトル使ってみた。便利すぎて離れられなくなりそう。
 

簡単感想

原題に「The Belko Experiment」とある通り、何者かの実験対象となった「ベルコ」社員たちがオフィスに閉じこめられ、次々と死んでいくデスゲームもの。80人という大所帯を90分で減らすためとはいえ、銃を手に入れた人や主催者の権限が強すぎてゲーム性は薄い。もう少し被験者同士の心理的な駆け引きはほしかったが、その分テンポよく話は進んでいく。残虐性を重視する方であれば満足度は高いと思う。
 
私の評価は★3。どんでん返しもなく、普通。80人分の血の海を見て普通と言うのも何だが、私には大味すぎてうまみが足りなかった。どのあたりをそう感じたのかについて、内容に触れながら述べていきたい。

 

残酷なゲームに立ち向かう

このたびのゲーム会場はコロンビア郊外にあるアメリカ資本の企業で、被験者となったのは国外に籍を置く社員たち。彼らの首の後ろには海外企業を狙った誘拐に巻き込まれた際の保険として後頭部に追跡装置が埋め込まれており、こちらが本作のキーポイントとなる。たかが就職で異物を体内に入れられるのもどうかと思うが、日本という島国でもある目的のためだけに真珠を埋め込む人がいるくらいなので、広い世界ではよくあることなのだろう。
 
本作が生き残りを賭けたバトルではなく大量殺戮のスプラッタとなってしまった原因の一つが、この追跡装置である。単なる位置把握だけではなく小型爆弾としての機能も備わっているため、その便利さにあぐらをかいた運営側がバンバン爆発させるのだ。日本には広く親しまれている「人がゴミのようだ」というロムスカパロさん(享年32)の至言があるが、まさにその通りのことが行われ、仕事ができようができまいがおかまいなしに頭が吹っ飛ばされる。
 
つまり観察対象の減らし方が雑なのだ。子どもがぐずぐずしていると手を出さずにはいられない親御さんのごとく運営が介入してきて、ゲームがゲームでなくなっている。実験とは本来時間のかかるものであり、ある程度の根気を必要とする作業である。最初のゲームが30分、次が2時間、戦時中ならともかく生まれたときから平和を享受してきた人間たちが対応できる時間じゃない。1日も待てないせっかちさんを運営リーダーにした責任者は人を見る目がないと思う。
 
真面目に言うと、オフィスという閉鎖的なシチュエーションと多すぎる人数がバトロワ(デスゲーム)向きじゃない。時間内にさばききろうとした制作側の努力は認めるが、強者に銃が供給された時点で実験などせずとも結果がわかりきってしまい、ゲーム性が失われてしまった。
 
暗に銃と爆発ばかりでつまらない、と言ってしまってはいるが、それは私がデスゲーム大国・日本に住んでいるからであって世界的には「ヤベエwwwww」の連続なのだと思う。90分で80人ということは実質1分弱で1人なわけだから、確かにやべえ。だが何度も言うように、今作は実験と称したデスゲームなのだ。そこにスリルと理不尽があれば、頭を爆発させずともジャンケン+集団暴行でいいではないか。創意工夫を凝らした人員削減のバリエーションがあってこそ、他との差別化ができるのだ。
 
ジャンケン以外のアイデアとしては、ウォーターサーバーにお薬を混ぜて幻覚で自滅させるとか、鉛筆でトラップを作っておいて踊場から突き落とすとか、コロンビア産コーヒーで目を煮溶かすとか、飼育していたアリを耳に入れて発狂させるとか、ちょっと考えただけで湯水のようにわいてくる。監督さんも、そこらへんにある事務用品で殴ることしか思い浮かばないのなら私に相談してくれればよかったのに。
 
冷静にここまでを読み返して危機感を抱いたので念のために申し上げると、強者が一方的に弱者を蹂躙する今作を見て私は気分爽快になりませんでした。
 
さて、最初の指示「誰でもいいので30分以内に同僚を2人殺すこと」でドッキリではなく本気と知った社員たちがおののく中、「2時間後までに手段を問わず30人に死んでもらいたい、30人死ななければ我々のやり方で60人殺す」と新たな指示が飛んできたくらいから行動パターンに分岐が出ててきて、おもしろくなってきた。
 
自分のペースに持ち込むため独裁者となる者、外部へ接触し助けを呼ぼうとする者、あくまで現状を否定する者、隠れる者。日常から非日常へと急激にシフトした人間がどのように行動するのか、主催者たちが望んでいる姿がそこにはあったのだと思う。そして結局は力づくで、正義の名のもとに自己の利益を実現していく姿を見て彼らは満足したのだろうか。
 
最後の指示は「1時間で最も多く殺したものが生き残る」。運営側も面倒くさくなっちゃったんだろうね、すごく適当。スプラッタに走らずそれぞれがどのように狂っていくのか掘り下げてくれたら、もっと人間味のあるバトロワになったろうに。
 
こうやって出来事を振り返ると、もったいないと感じることが多い。唯一、追跡装置を埋め込んでいなかったトリックスター的存在も秒でログアウトしたし、最後の仕掛けも特に目新しくなく、むなしいだけの結末で何も残らなかった。やっぱり銃がないほうが盛り上がったと思うんだ。
 
人減らしが目的のようなゲームしかなかったことを考えると、元々単なる大量殺戮ゲームで血がどれだけ流れるかが重要な映画だったのかもしれない。そうであれば私の見方が違うということなので、ここまで書いてきておいて何だが見なかったことにしていただけるとありがたい。退屈はしないがバトロワとしてもスプラッタとしても中途半端カナーという印象の映画でした。