pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

共依存からの卒業「リベンジ・タイム」感想

あらすじ

アメリカのある田舎町で義理の父ジョンと暮らすゾーイ。母が亡くなってからジョンに毎晩のように犯され、肉体的にも精神的にも奴隷のように支配されている。恐怖と暴力による支配は、ゾーイに街から逃げ出す考えさえも奪い、逆に屈折した愛情をジョンに抱くほど。そんな歪んだ生活はエスカレートし、ゾーイはジョンの異常な欲望を満たす手伝いをさせられる。それは街のパブで美しい女に狙いを定め、家で飲み直そうと巧みに誘い出し、家で女を監禁し、逃げられないようにすること。その後、ジョンは女を凌辱、拷問し、飽きると女を殺し、埋めてしまう。次々と生け贄となる女が増え、その悲鳴や叫びを聞くうちに、ゾーイの中で、この異常な生活からの脱出とジョンへの復讐心が芽生え始める。(amazonより)

リベンジ・タイム [DVD]

 
世界3大ファンタスティック映画祭のひとつ、ポルト国際ファンタスティック映画祭で監督賞受賞した作品。
 

簡単感想

「監禁→凌辱→拷問→反撃、義父(ケダモノ)への復讐が炸裂するー!」と煽り散らかしているが、痛いシーンや拷問の描写はほぼなく、反撃も一瞬で終わる。そしてジャケットの女性は主人公ではない。つまり日本で売り出すにあたり原題(Daddy's Girl=お父さん子、パパっ子)のままでは刺激が少ないと感じたうえでの、タイトル並びにジャケット並びにあおり詐欺の確信犯である。マイナー映画の魅力を感じ始めた昨今、まさか三冠を達成している作品を早々に引き当てるとは思ってもみなかった。
 
マイナー映画には邦題とパッケージが内容に沿っていないことがままあるといっても、それが作品の評価を落としているのだから罪の深さは推して知るべし。控えめな拷問描写とラストを見るに、この映画が言いたいことはまったく違うと思われる。だが文学作品でもないのに言葉も表現も足りないものだから、全然伝わってこない。
 
最後まで飽きずには見れたので、私の評価は★3。今は、どんな映画祭であれ賞を獲得したのだから並のB級であるはずがない、という祈りにも似た心境で、この先どうヤジっていこうか考えている最中である。

 

この支配からの卒業

さて、あらすじにもあるとおりジョンは加虐嗜好の持ち主で、軍隊にいた若い時分には拷問による不品行で除隊を命ぜられるほど抑えがきかないタチである。
 
みなぎる欲求を満たすため現在は町のパブでターゲットを物色し見繕っているのだが、ここで今作中最大の疑問を感じる人も多いだろう。いくら過疎化が進む田舎町とはいえ、若い女性が女連れの中年にホイホイついていくものなのか、と。ロマンスグレーに憧れる枯れ専女子率が高い田舎の可能性もあるが、相手はチョイ悪なジローラモではなくネルシャツをボトムインしたひげ面の中年である。普通に考えて、ない。これが異世界転生した俺様のチート能力だと言われても納得できない。これがありなら「なぜ俺はJKにモテないのだ」と果てていったチー牛たちの屍が報われない。
 
だが、このことについては「パブで働く女子の扇情的なパンツがチラ見えしたことにより発情する」という下衆いモブを登場させることにより合理的な説明がなされていた。
 
ジョンが声をかけるのは、町に根付いていない旅人と思わしき女性である。一人旅をするほどだ、旅先で一夜のアバンチュールを楽しむくらいの解放的な気質があることは容易に想像がつく。相手はもちろん現地調達。町のバーに入り周りを見渡せば、女と見ればひやかさずにはいられない田舎のカッペ感まるだしの若者と、野人じみているとはいえ紳士的でユーモアのある落ち着いた中年。比較対象が限定的過ぎてカレー味のウンコとウンコ味のウンコにも似たどっちもどっち感を覚えるが、遊び相手としては後者のほうがまだマシ、という話である。
 
そんなジョンに何年も手を貸してきたゾーイの心境が変化したきっかけがどこだったのか、それは明確になっていなかった。強いて言えば先ほどパンツをチラ見せしていたジェニファーの存在だろうか。ジョンに追随し生きてきた自分とは真逆の、他人に迎合せず自身を貫く彼女の強さに次第と感化されていったのかもしれない。
 
それぐらい距離が縮まる描写もなかったので想像でしかないのだが、ジェニファーが発情したカッペを撃退したシーンのゾーイは明らかに衝撃を受けていた。どうせ大した拷問もしないのだから、女性連れ去りの場面を減らしてゾーイとジェニファーのシーンを増やしてくれれば、販売元によるあおり詐欺の被害も防げたのではないかと思う。
 

 
ジョンから虐待を受け自己肯定感が低い大人へと成長したゾーイだが、不自由なようでいて実際はそうでもなく被害者を自分の裁量で解放するくらいには自由がある(しかも罰もない)。「自分には選択肢がない」と言い聞かせるようにつぶやき、ジョンの元に居る理由を作っているあたり、共依存の関係であることがわかる。
 
ジェニファーへの憧れは恋と似たようなものだったのだろう。それであればジョンの洗脳から逃れられた理由もわからんでもない。娘さんをお持ちのお父さんには何となく伝わるだろうか、女性が本当の恋を知ったとき、親からの巣立ちは始まるものだ。原題の「お父さん子」は作中ではなくラストにつながってくるのだと私は思う。進路選択で親の職業を目指す子が一定数いるように、その影響は自分でも気がつかないほどに大きい。
 
まとめとしては、いろいろと描写不足で疑問が残る作品であった。とにかくゾーイの心境の変化がポイントと思うので、過激なあおりに騙されず心を強く持ちながら見てほしい。ちなみに被害者へのスケベな凌辱はないので、付き合いたてのカップルでご視聴いただいても大丈夫だ。