pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

団地妻の悲劇「うしろの正面」を観た話

あらすじ

物語の中心となるのは杏(主役)、舞衣子、美紀の主婦三人。意気投合した彼女たちはオカルトやスピリチュアルが大好きな美紀の発案で「パラノーマルな妻たち」というオカルトの共同ブログを始める。はじめは順調に更新を続けていたのだが、妊娠を期に美紀の様子がおかしくなる。臨月の舞衣子や妊活中の杏に悪態をつきはじめる美紀。険悪なムードの中、距離を取ることになった三人だが、舞衣子の出産間近となったある日、美紀からのメッセージが入る。「3時33分にyoutubeでかごめかごめと検索すると何かが起こる」。

うしろの正面

簡単感想

パッケージ通りの和ホラーであるが、ホラー映画を作っている人に侘びをいれてもらいたい内容であった。監督さんは自分が怖いと思った要素を並べておけばみんな怖がると思っている、とても可愛い人のようだ。物事には原因があって、結果がある。その原因がよくわからないまま結果だけを見せられている感覚と言えばいいのか、「呪怨「リング」をお手本にした恐怖の演出しかないホラー映画であった。私の評価は★2.5。恐怖の演出自体は不自然さもなく悪くなかった。演者さんの演技もうまい。

 

悲報・かごめかごめは関係ない

あらすじは冒頭書いたとおりである。ここまでの経緯から、誰しもがこの「かごめかごめ動画」が本作のキーポイントだと予想するだろう。それはそうだ、タイトルとパッケージからしてそうなのだから。だがおしい、半分正解である。
 
なぜに半分なのかといえば、これが原因だという確たる示唆がないからだ。途中途中に「かごめかごめ」と歌がほんのり入ったり3時33分パソコンが急に立ち上がって動画が流れ出したり、かごめ歌が関係しているのではないかと臭わせてくるのだが、この動画の制作者は誰とか舞衣子の死に関係しているのかといった謎の追求は一切ない。
 
唯一それらしいと言えるのは、ラスト間際に挿入される第三者の記憶である。この第三者こそがかごめ動画の中心にいる人物だ、と全視聴者が指摘したいところなのだが、その推理を迷宮入りさせる出来事がそのあとにやってくる。この第三者、つまりラスボスの加耶子似な白塗り女を杏が包丁で切りつけたら血が噴き出てきたのだ。
 
アレェ? お前さん生身の人間だったの? つまりあの動画は心霊動画ではなく、白塗り女があの小汚ねえ格好で機材を自分で運び、そこいらにいる小学生を集めて協力してもらったうえで撮影をして、3時33分に予約投稿したという話でよろしいか。ドッキリを疑ってみたが、その後杏が血がついたであろう手をフロ場で洗っていたのでドッキリではなかった。
www.youtube.com
 
話をわけて考える必要があるのかもしれない。殺傷事件は加耶子モドキの仕事であり、超常現象を起こしていたのはモドキに殺害された舞衣子。3時33分かごめ動画は何の変哲もないただの動画だったが、悪霊になった舞衣子に利用されたことで超常動画となってしまった。杏がときどき見ていた怪現象は妊娠ストレスによるものであり、最後のシーンはモドキを殺したことによって杏の心が変容したことの暗喩である。
 
あくまで私がこれなら納得できるという筋書きなので実際はどうなのかわからないし、上記の通りだとしてもめちゃくちゃわかりづれえ。
 
ホラーは観ている人を怖がらせてナンボ、それは正しい。だが、ホラーである前に物語なのだ。物語にはつじつまがあり、事柄がたくさんあるならそれをどう合わせるか、観客が分かるように伝えるのは監督のお仕事である。考えるな、感じるんだ、わたしが知る限りそう言われて対応できるのはブルース・リーくらいだし、監督である三宮英子が外国人で脚本がこのままだとオカシイナーと気づけなかったのだとしたら監督をするべきではない。仮に日本語で夢を見るくらいの国語力があるのであれば視力が悪くて脚本が見えませんでした、では済まされない話である。
 
では特筆する名場面がなかったのかと言われれば、そんなこともない。本編ホラーより真に恐ろしいのは団地妻の冷戦であった。むしろこの路線でサイコホラーにしたほうが盛り上がったと思う。妊活中の杏に向かって「杏さんは子どもいないからわからないでしょう」と言う舞衣子、お腹の子どもにさわるからと心配する杏に向かって「じゃあ杏さんがかわりに生んでくださいよ」と吐き捨てる美紀。てめえらの血は何色だ、もちろんそのあとの杏の表情には鬼が宿っていた。
 
日々仕事にまい進する旦那様方は全編見る時間もないだろうが、このシーンだけでも見てもらいたい。妻は妻で日々戦っており、戦士なのはあなたがただけではないのだ。おそらく結婚5年目という世間話くらいはしているはずの三人組である。本当に友達と思っているなら妊活していることくらい想像と連想でわかりそうなものであるが、つまりここで言う「友達」とは日中ヒマな時間をすごす都合のいい相手という位置づけであり、本心では相手のことなど無関心なのだ。彼女たちと同じ状況にいる人は、この映画で自身の人間関係をあらためて見つめなおすことができるだろう。そんな経緯を知ってか知らずか呑気にそろそろ仲直りしなよ、とすすめる旦那様にタイキックを決めるどころかそうだね、と同調する杏の素直さは見習いたいところである。