pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

伸縮自在クモ現る「ジャイアント・スパイダーズ 巨大クモ軍団の襲撃」感想

ジャイアント・スパイダーズ 巨大クモ群団の襲撃(吹替版)
つまらないという感情すらわいてこない、どうしようもない映画がこの世界には存在するのである。
 
 
遺伝子研究によって巨大化したクモが脱走した。職員が次々と殺される中、民間(たぶん)の特殊サービス部隊が彼らの救出に向かう。製作は中国(2021年)、ジャンルはモンスターパニックアクションである。アマゾンの評価は★2、ちなみに★3が最高点で、★4以上はゼロ。よかった探しの得意な私がよかった点を見つけられなかった恐るべき作品だ。
 
何から申しあげればいいのか、まずはジャケットを見てほしい。10mはありそうな巨大なクモに立ち向かおうとしている女性という、大迫力の1枚である。だが本編に登場するクモは実際、この半分程度の大きさしかない。まあそれはいい、作品の魅力を伝えるにあたりイメージの誇張はあってしかるべきなのだから。問題はそこではなく、クモが群れで襲ってくるときはネズミ大のサイズなのに、近接で戦う場面になると急に大きくなることだ。この作品のクモは人との距離に応じて、体長が伸びたり縮んだりするのである。

つまりCGのパースがおかしいのだ。背景に対するクモが小さすぎるのである。こういうのはイタズラと一緒で、1回だけなら気のせいで済むのにたいがいが調子に乗って何回も繰り返すから問題がおおやけになる。タイトルにある軍団として群れを強調したいけど予算の都合もあるから仕方なくCGを使い回した、という苦しい懐事情は汲みたい。使い回しは一向にかまわない。だが近くにいようが遠くにいようが大きさは統一してもらわないと、こちらとしても対応いたしかねる。仮に「蜘蛛の目で見れば伸縮するのは普通のことです」と言われたとしてもこの映画を見ているのはおおむね人間であるから通用しない。遺伝子改良の影響で伸縮自在になれていたのであれば私の言いがかりで申し訳ないが、せめて雑な仕事だと分からないような配慮はしていただきたかった。

合わせて中央にいる女性のことだが、彼女は主役ではない。奥のジープに乗っている小さな男性が主役である。この絵を見てそれが分かる人は制作陣以外いない。片腕が義手で愛刀がライトセイバーという厨二の化身である彼女は男やもめに添えられた一凛の花であり、それ以上の役割はない。謎めいた女性として登場し、一切謎が明かされることなく話は終わる。劇中は無表情で「逃げて」とそれ以外の一言、二言、計5回くらいしか発言せず、もちろんいなくても物語に支障はない。

物語が始まり意気揚々と出動する面々、すると大した印象もない部隊員の胸上写真と簡単な紹介が画面に一覧表示された。デスゲーム漫画の目次によくある、消えた人からバツ印がついていくアレだ。ああ、これみんな死ぬやつだと思っていたら本当に死んだ。大体、最後までしつこく攻撃している人から順当に死んでいくから、この人はここで死にます、という予言はほぼあたった。部隊員に愛着のわくエピソードでもあれば感情も動いただろうが、そんなこともなかったのでガスボンベと爆弾を抱えて「最後の一服くらいさせてくれよ」と既視感のあるセリフで人生を締めくくった隊員以外は誰が誰かもわからず消えていった。最初から死亡フラグをたてておく根回しの良さを見せるなら、彼らの存在価値に気を回してもらいたかった。

それと、特殊部隊が「特殊部隊」という名の警備員で、まったく頼りにならなかった。細々しいクモに向かって銃を乱射する警備員たちに、火炎放射器やとりもちを使ったほうが有効だと誰か教えてあげて。全世界に向けてわが国の特殊部隊は警備員レベルだとお伝えする制作陣の勇気は買うが、命が惜しければ自国の特殊部隊員にこの映画を見せないほうがいい。冒頭のスパーリングシーンだけで彼らが凄腕の傭兵であることを視聴者に印象づけたと思っている監督の無邪気さこそが、この作品の敗因かもしれない。

あげればきりがない。弾丸が尽きたと思ったら胸元からナイフを取り出して、無駄な動きの多い中国映画のお家芸カンフーアクションをし始める隊長、クモ細胞と融合しミューテーションした姿が、そのまま人間の背中にクモの足が生えただけという雑なラスボス、表情筋がぴくりともしなかった一凛の花が笑顔を見せ、隊長といいムードになっているエンディングの夢回想シーン、本当に何がしたいのかよくわからない。しかしラスボスの造形は意外とありで、クモの足で立つと人間がブリッジの姿勢になってうごうごしているのはおもしろかった。

私の評価は★1.8である。一応最後までは見れたことと、ラスボスの気持ち悪い造形はありなので0点ではない。監督の大切さをしみじみと感じる作品であった。