pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

今日の一冊:「虚構の家」曽野綾子

P+D BOOKS 虚構の家
初版が1976年、昭和の裕福な家庭が舞台となっており、私のような庶民とはかけ離れた世界のように思えたが、描かれていた家族関係はけっして他人事とは思えない内容だった。夫に尽くすのが妻という考えが主流だった昭和時代、発売当初は相当物議をかもしたのではないだろうか。

物語は二つの異なる家庭の出来事を、母親目線で交互に追っていく。一つは老舗ホテルのオーナー一家・日和崎家。家政婦を雇うほど裕福で何不自由なく暮らしているが、息子の不登校と娘の虚弱に悩んでいる。もう一つは大学教授の呉家なのだが、こちらは明らかによくない。暴君の夫と、その血を濃く受け継ぐ息子、彼らに怯え機嫌を取ることだけを考えている妻、男性上位の家庭で娘は何の期待もされず、放置されている。今読むと嘘みたいな大げさ設定だが、時代を知っている身としては必ずしもあり得ない、とは言い切れない現実味があった。

コテコテの昭和を舞台としながらも、問われているのは年代関係なく不変のものだった。

ここからちょいネタバレ。


本作に登場する大人たちは、みんな自分のことしか考えていないんだ。子どもの心配をしているように見えて自分の体裁を気にしている母親、家庭の問題には無関心ながらも表面上だけ心配をとりつくろう父親、学園経営と保身を第一に考える教師、暴君の夫に逆らえない妻と、そんな母を見下す息子、自分が安心できれば問題解決したと判断し、物事の根本に目を向けようとする人は誰一人としていなかった。つまり、愛はどこにもなかった。

一見すると問題がないように見える日和崎家を「虚構」の事例とした曽野先生。終盤までは漠然と歪んでいるとしか思わなかったが、医者の「家庭に何も問題ないのが問題」という鋭い指摘で目が覚めた。

あとは「まともな人」枠・三宅と聖子の関係ね、私としては納得いくものではなかった。神さまを登場させるにあたり妊娠が必要だったにしろ、高校生相手に中出しドヤ顔はけしからんじゃろ。こればかりは呉パパの言い分ももっともだわよ。

あからさまに神様がでてきたのはそこくらい。家族を家族たらしめるものは無償の愛、という大きなテーマが著者の描きたかった信仰なのだと受け止めた。あからさまに神様バンザイとせず物語から感じさせてくれる曽野作品が、だから私は好きなのだ。とはいえ、他の曽野作品と比べると読後の充実感はあまりなかった。