pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

伝奇スペクタクル「帝都物語」感想(映画)

あらすじ

日本最強の悪のヒーロー・加藤保憲が登場。彼はサイキック・パワーを自在に操り、東京の地霊である平将門を怨霊として目覚めさせ、帝都東京の破壊を企む。加藤の魔の手から東京を護るのは、実業家・渋沢栄一、文士の幸田露伴森鴎外泉鏡花、物理学者・寺田寅彦など近代日本の実在の人物たち。そして、平将門の末裔・辰宮洋一郎と妻・恵子、一千年にわたり日本の吉凶を占ってきた土御門の陰陽師・平井保昌、日本最初のロボット”学天則”らが、自らの命をかけて加藤に立ち向かう。(パッケージより)

帝都物語
 

簡単感想

荒俣宏による同名小説の1~4巻を原作とした伝奇スペクタクル映画。「魔界転生(1981)」「里見八犬伝(1983)」「孔雀王(1988)」と並びオタク黎明期に生を受けたダンゴムシたちの栄養源として摂取され、サブカル界隈にも多大なインスピレーションを与えたのは有名な話。
 
明治45年(明治時代最後の年)から昭和2年の長きにわたる物語で、史実を交えながら歴史の教科書に登場する実在の有名人たちが帝都の仇敵・加藤康憲の野望を退けるべくそれぞれに力を尽くす群像劇である。平将門陰陽道奇門遁甲、風水といったオカルト要素と魔人・加藤を演じた嶋田久作の怪演が見どころで、物語が凝縮されている分、中だるみする場面もなく世界に没頭できる。
 
だが冷静に見ると、壮大な大河である原作をあますことなく表現するには当たり前に尺が足りておらず、ところどころ展開が雑。今作のキモであろう設定の説明も放棄しており、加藤が帝都を憎んでいる理由や衝撃的な雪子出生の謎もさらりと流されて終わっている。
 
私の評価は思い出補正も入れて★4。物語の粗は嶋田久作の存在感で帳消しになっているし、特撮の最前線にあった円谷プロと親交の深い実相寺昭雄監督ならではの映像センスが随所に感じられる名作なので、これから見る人へのアドバイスとしては「細けえことを気にしなさんな」。普通に見ても面白いからこのまま感想終わりでもいいっちゃいいのだが、せっかくなので要点を整理しておこうと思ったらクソ長い一人語りになってしまった。さすがに目次をつけたので興味があるところだけ見ていただければ幸いだ。

 

加藤保憲について

加藤の計画

まずは加藤の計画について、映画の中からわかることを整理する。

帝都東京は約一千年前、関東に独立国を築かんとして望み果たせず謀反人として討伐された平将門がふかい恨みを抱いて眠る日本最大の霊場である。今では東京の守護神として祭られ鎮められている平将門は強大な怨霊でもある。その首が眠るといわれる将門首塚は撤去せんとするや必ず不審事が起こるため祟ると恐れられ、大手町のビル街にひっそりと残されている。当時、そこは大蔵省の一角だった。(劇中冒頭ナレーション)

 
加藤の計画の最終目的は、将門公の怨念パワーで帝都を墓場と化すことである。それにはまず寝た子を起こさないと話が始まらないということで、彼は帝都を走る地脈(地層)が必ず首塚を貫いていることに目を付けた。大地震の衝撃で強制的に目覚めさせることを思いついたのだ。
 
最初に時間が必要な仕込みの準備にかかる。1912年(昭和45年)、目覚めた将門公を憑依させる依代として利用するため、将門公の血を継ぐ辰宮由佳理に自分との子どもを妊娠させる。(魔術により孕まされたためか、医師による堕胎処置は失敗)
 
次に地層が繋がっている中国・大連へと渡り、共振現象でより大きな地震を誘発するため地脈に刺激を与え続ける。「地竜よ、遥か東京へ憎しみを放ち、将門の首を締めあげるのだ」。
 
1923年(大正12年)9月1日、帰国した加藤は幸田露伴奇門遁甲を破り、大地震によって将門公を目覚めさせようとするも安眠妨害された将門の逆鱗に触れ一発KO。大地震により帝都は壊滅したものの、完全破壊とはならなかった。
 
時は過ぎ1927年(昭和2年)、今まで以上の近代都市として復興した帝都では地下に鉄道を走らせる計画が進められていた。だがあと1点を掘れば開通できるという地点に加藤の式神が現れ、工事を妨害。その場所を掘り進めることはすなわち、地竜の頭の切断を意味していた。
 
学ぶことを知る男・加藤は前回の反省をふまえ、地震に加え由佳理の娘・雪子の強力な霊力によって将門公を目覚めさせる試みを行う。天の使者・護法童子の力を用いて雪子を首塚へと転送し、座して静かに目覚めを待つ。そこへ将門公の巫女である恵子が乗り込み、物語は最終決戦へと流れていく。

 

私から見た加藤という男

加藤としては朝廷の支配に立ち向かった英雄と言われる将門であれば、まつろわぬ民の末裔である自分に共鳴してくれるのではないか、という期待もあっての策略だったのだと思う。だが将門からは安眠を破る不敬な者として逆に敵対視されてしまい、数年の療養を余儀なくされるほど強力に拒否されてしまった。そりゃそうである、誰だって熟睡中の真夜中3時に見知らぬ他人から叩き起こされたら常識知らずと憤慨する
 
よくよく考えると本当に加藤はかわいそうな男なのだ。将門に怒られてヨボヨボになりながら「なぜ目覚めないのだ、将門」とつぶやく姿には「仲間と思っていたのは自分だけだった」という悲しみが透けて見えて同情めいた感情すらわいてくる。呪術vs呪術で始まった戦いが最後は式神(魔術)vs學天則(科学)となっているのも、古い時代の淘汰を象徴しているようで切ない。そして、鬼として戦ってきた加藤が最後に求めたのは菩薩の救済だった。加藤が人々の心に深く印象付けられているのは、特異な風体だけではなく孤独や哀愁といったダークヒーローの条件を兼ね備えているキャラだからこそだと思う。トータルして加藤びいきにならざるを得ない物語で彼のルーツを描かなかったのは本当にもったいない。

 

加藤を演じた嶋田久作の功績

その加藤を演じた嶋田久作がいなければ、この映画が歳月を超えて人々の記憶に残ることもなかったかもしれない。どこで見たのかは失念してしまったのだが、加藤の配役を決めるとき無名の俳優を使うことに東宝側から難色が示されて、別の人に決まりそうじゃなかったんだっけ? それで、その方からの質問に監督が適当に答えたら断られてしまい、めでたく嶋田さんが加藤役になったと。まあ嶋田さんも嶋田さんで「庭師の親方に聞いてから」と返答をしていたようなので、運命の歯車がちょっとズレていたらストⅡのベガも、バスタードのアビゲイルも、シャドハの加藤も生まれなかったというわけだ。
 
首元に手を交差させ、五芒星の魔除けが記された白手袋で三つ指を立て「ドーマン・・・セーマン!」と唱える加藤の無敵感すごいよね。この威風堂々で初主演なのだから驚きである。
 
そんな加藤に萌え震えてしまうわけだが、最強の陰陽師+外套つきの軍服なんてフェチが足はやして歩いているようなものだし濡れないほうがおかしいだろ? しかも原作に手を伸ばせば表紙イラストを丸尾末広が書いているときたもんだ。幼児期に一連の洗礼を受けた少年少女たちは、もれなくサブカル沼へと首まで沈むことになったとかならないとか。

 

加藤以外の登場人物について

第一印象は、みなさんお若い。石田純一も、佐野史郎も、寺田農も、今の面影を残しつつピチピチである。寺田農はなぜか私の中でウィレム・デフォー的な立ち位置を占めていることもあり、特に感慨深い思いを抱いてしまった。
 
もうはっきり言ってしまうが、辰宮雪子の父親は辰宮洋一である。つまり由佳理と洋一はインモラルな関係で、加藤が妊娠させるより前に洋一が孕ませちゃった子が雪子ということになる。そんなことも知らず魔術を施したことによって堕胎がなされなかったあたりまた加藤への愛しさと切なさがこみあげてしまうわけだが、それをふまえて劇中の洋一を見てほしい。由佳理が執拗に兄を求めているのに対し、まったく関係ございませんという平静な態度を終始崩さないこの男を鬼畜と思うのは私だけだろうか。
 
もう一人、渋沢栄一役の勝新太郎。明治期東京を代表する実業家で自由競争経済建設の指導者という役柄であるが、セリフはほぼない。それにもかかわらず、この役は彼でなければならないという説得力があった。圧倒的な存在感により、登場するだけで場が締まるのだ。嶋田久作といい、役者の実力は演技力だけで測れるものではないということを、この映画を見て実感する人は多いだろう。

 

一番好きなシーン

学天則の最期に尽きる。彼に心が宿っていたのかははっきりと描写されていなかったが、いずれにしろボロボロになりながらも任務を果たした献身に涙がちょちょぎれた。

 

アナログ特撮の粋を極めた映像

キャストありきの注文で練られた脚本により物語は残念なことになってしまっているが、実相寺監督のこだわりが反映されている映像は感嘆するほどすばらしかった。昭島市に再現された当時の新宿4丁目から新橋方面の街並みや路面電車、忙しく行き交う和装と洋装の人々、アルバイトを募集する看板といった細かな小道具に至るまで綿密な時代考証がなされている。大正ロマンの雰囲気に満ちた風景に役者が自然と溶け込んでおり、当時にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるほどだ。そのほかにも崩壊した都市を精巧に表現したミニチュア造形、ストップモーションを駆使し生き生きと動くクリーチャーたち、技巧を凝らした特殊メイクなど、円谷プロで培ったアナログ特撮の技術が惜しげもなく生かされている嶋田久作の演技もすばらしいが、映像に注目して観ないのはあまりにもったいない。
 
・・・と、えらそうなことを言ってみたが、私もウルトラマンを熱心に見ていたわけではないので実相寺監督というと乱歩地獄くらいしか存じていないレベル。このたびは事前情報を入れたうえで鑑賞したので、上記のような見どころポイントにも気づけたという種明かし。令和の今見るとやはり技術の拙さが気になってしまうと思うので、この映画に関してはネタバレを気にせず、どのような映画であるか情報を入れたうえで鑑賞したほうが絶対にいい。なおギーガーがデザインした護法童子のみゼンマイ仕掛けでキュルキュル動いていて、ちょっとオモチャ感がある。

 

映画が作成された時代を考える

最後にyahoo知恵袋のなぜこんなにキャストが豪華なのか、という質問の回答を転載する。

帝都物語」は1988年の映画で、予算は10億円程度です。1980年代中盤という時代は、「時をかける少女 」「セーラー服と機関銃」のようなアイドル映画が隆盛を極める一方で、東映による「魔界転生」「里見八犬伝」といった伝奇スペクタクルもそれぞれ興行成績20億円程度とスマッシュヒットを飛ばしていました。
 
これに対抗して東宝も伝奇もので何か一つ、というコンセプトで撮られたのが「帝都物語」という作品で、SFや怪奇ものに強い実相寺監督(「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」)によるSF大賞受賞原作の映画化という鳴り物入りの企画であり、この豪華さも至極妥当と言えます。1989年に公開された「ガンヘッド」の予算が15億円だったことも考えると、むしろまだまだ現実的な予算だったと言えるほどです。
 
勝新太郎はじめ俳優陣も豪華に見えますが、映画会社の鳴り物入りの大作となるとこれだけのキャストが揃うのは、先に挙げた作品の例を待たずとも当たり前といえる配役です。(知恵袋より)

この映画が製作された時代はバブル好景気の真っただ中にあり、wikiによると1988年は一般人も豊かさを実感し始めた年なのだそうだ。つまり今作は日本が最も勢いのある時代に製作された作品なのである。映画の外にある事柄ではあるが、壮大な舞台セットや豪華絢爛なキャスト陣を見渡しながら製作された時代の背景について思いを巡らせてもらえると、作品に込められた熱もより一層感じられると思う。このようなことを考えながら鑑賞するのもなかなか趣深いものがあるという話で、この記事を締めることとする。お付き合いありがとうございました。