pu-log’s diary

たくさんの物語と出会うことを今年の目標とする。

今日の一冊:「対になる人」花村萬月

おもしろかった、というより興味深い物語だった。近年、著者が量子論宇宙論に耽溺されておられるのは、もしかしてこの作品の出来事がきっかけなのか。けっこうなボリュームで読了にまる1日費やしたものの、つまづくことなくすらすら読めた。
対になる人
登場するのは複数の人格を持つ女性・紫織と、たまたま彼女が経営する店に足を運んだ作家の菱沼。終盤に少しだけ恐怖を感じる場面があったが、書籍紹介にあるサイコサスペンスの雰囲気は感じなかった。

多重人格モノのセオリーをおさえた虚実ブレンド作品

萬月先生の作品をご存じの方は、あらすじを読んで「わーまたこの人エグいの書いているなあ」と思われるだろうか。著者あとがきを信用するのであれば、今作はノンフィクションに近いフィクションとして描かれており、内容は事実に基づいた出来事である。「信用するのであれば」と言ってしまうのは、モデルとなった紫織さんの人生があまりに過酷すぎて、虚構であってほしいと願う私の抵抗だ。

日常生活に関することだけではなく、感情そのものを司るなど、受けもつ役割が決まっていることは知識として持っていた。辛い役回りを担わなければならない人格がいることも知っていた。だが、悪意に対して担当人格が自己犠牲の献身でひたすらに耐えるという事実を、克明かつ残酷に突き付けられたのは、今作が初めてかもしれない。

もうね、しんどいの。ほんと読んでいてしんどかった。主人格を守るためとはいえ、逃げ出したいほどの職務を与えられても強い責任感をもってまっとうするしかない複数の彼女たちは、生まれながらの奴隷なの。しかも、それが存在意義だと彼女たちも分かっているから、なおのこと悲しい。

そんな彼女たちと接し、人格統合をするまでに深く関わることになった菱沼。他の花村作品における主人公と同様に、モテモテのハーレム状態でセックスばかりしているわけだが、そこにあるのは恋愛ではなく慈愛だった。次から次へと現れる彼女たちに深い慈しみの心でもって接し、すべてを受け止め、救おうとした。

もし、この救性主伝説で彼の好感度が爆上がりすると想像し描いていたのだとしたら、こう告げよう。

ただしイケメンに限る

菱沼という問題児

主人公でありながらこやつがかなりの問題児で、萬月先生が憑依型作家であるとはいえキャラクターが勝手に動くのを止められなかったのだろうが、すみませんね、

気持ちが悪い。

新しい人格が登場するたび当たり前のように体を重ねるのは、お互いを深く分かり合うための儀式として考えれば、まあわからんでもないです。でもですね、60過ぎのお父さんが避妊するかしないか、相手に委ねないでください。徹頭徹尾中出しなのも何かしらのポリシーがあるのでしょう、いいんですよ。ですが、せめて、せめてご自身で判断してください。「俺は避妊しようとしたんだよ、でも相手がしないでくれって言ったからさあ。俺は悪くないんだよ、ああ爆ぜちゃった」。いやいや、いやいやいやいやキサマは性欲が本体の中学生か。

進退窮まるとすぐ投げやりになるし、彼女たちすべてを受け入れる懐の深さが唯一の美点だったのに問題児のひかり殺すとか言いだすし、ほんとね、後半の変わり身の早さには驚いたよ。これまで萬月先生の作品を読んできて、どうしようもなくクズい主人公もたくさん見てきた。でもね、ここまで好感の持てない主人公はキミが初めてだよ。自分たちを認めてくれたという理由だけで好きになってくれた彼女たちが「ちょろイン」と言われるのは、全てキミのせいなんだぞ。(以上、菱沼への説教)

しかし、本書に登場するこやつ以外の男はマジの本気で救いようがないド下衆ばかり。暴力を振るわないだけマシと言うべきなのか。

まともな部類と言える男性が(不本意ながら)菱沼しかいない中、救いだったのはイマジナリーフレンドの”悪い菱沼”だった。イマジナリーフレンドとは自分の中にいる空想上の友達で、映画『ビューティフル・マインド』で登場したような統合失調症による幻覚・幻聴とは似て非なる存在。本体である菱沼に軽口をたたくだけではなく、菱沼が行動を起こす前に注意喚起したり、さりげなく身を守ったり、頼りになるパートナーなのだ。紫織さんの一人格・あかりのクライマックス場面の行動がほんと男前でね、めちゃくちゃかっこいいの。本体と入れ替わったほうがこの作品の評価あがると思うよ。

考えるな、感じるんだ

相手の思考を読めたり離れた相手を殺すことができたり、いくつかの人格が超自然的な力を見せる場面があった。実際に体験した著者が納得するためもあると思うが、非現実な出来事については量子論などの物理学が用いられ説明されていた。時空とか多元宇宙とか、ええと、すまん、おれの屍を越えて行け。

4次元、5次元と聞いて何となく思い描く。私たちがいる世界は3次元の空間で、「次元」は方向が新たに加わると増えるとされている。時間を認識できれば4次元となり、時を超越できるらしい。マルチバースは5次元以上、無数の時間軸が存在する世界、つまりパラレルワールド(並行世界)につながる。すでに脳が炎上おこしているのだが、理論でしかなかった出来事が実際に起こっているのが、この作品というわけだ。

ま、こんな小難しいことなぞ分からなくとも読めたので、つらつら書いた上記は無視して大丈夫。私も分からないまま読み進めた。紫織さんたちの超常的な力が次元を超えて発動していると考えると、オカルトはしっかり物理しているのだな。

多重人格モノが好きなら買い

解離性同一性障害とならざるを得ない人がいることを改めて教えてくれたのはよかった。ひ~し~ぬ~ま~、問題はキサマだ。

階層構造となっている人格の深淵に恐ろしい人格が眠っている、という多重人格者が登場する物語のセオリーはおさえてあったので、そういう話が好きな方、すぐ体を重ねてしまうだらしない菱沼を許せる方ならおすすめできる作品だった。

最後に、主人公・菱沼が書いた小説を読んでいるというメタ要素もあるのかな、一人称ながら文章に他人事のような違和感を覚えた。私を中毒にした切れ味スパスパの萬月節は、今作においては見られなかった。あの核心を突いた皮肉な物言いが見たくて萬月先生の作品を読んでいるところもあるので、そこは少し残念。それと、この作品を読んで感じた作風の変化は気のせいか。近年の著書は読んでいないから、もしあったとしてもわからんのである。